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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
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画家であるSさんは、小学校3年生の時に変電所で高圧電流に触れ、両腕を失った。彼の生い立ちは、一般の人々と異なり父親が鳶職人で、従業員の殆んどは
前科を持った人達であった。特にいろいろな問題を抱えた人達は、生き生きとして 助け合って過ごしていた。この助け合わないと、生きてゆけない・・世界が後の 彼の人生に役立つのである。 画家への道 父親が突然、建前の仕事で家に画家を連れて来た。絵の好きな彼は この時の、画家との出会いで自分が将来絵描きを、職業として 志す気持ちになる。障害を持った事がハンデイでも、いつか 必ず自分に光があたると思い、絵の勉強を必死でする。 特に母親が小学校1年生の時から、描いた絵画を全部残しておいて くれた気持ちが、あとで彼の自信にもつながった。 絵画制作には、鉛筆も画筆も口でしっかりと銜え、絵の具のチューブは 足の指で絞り、絵は口で描く。 助け合いに感謝の涙 小さい時に父親に叱られ、家の外に出される度に隣の家の人が 助けに来てくれた。この時に他人の有り難さを身に沁みて感じる。 父親は障害を持ってる自分の子供が、親から自立を早くする為に涙を 堪えて、我が子に厳しく接した。 高校までは友達をたくさん作り友達に、自分の服を着せてもらったり脱がして もらったりし、トイレまでまた全部・男友達にしてもらう。しかし女性を意識し始め てから、自分自身で孤立しようと考える。 好きな女子学生にラブレターを上手に書く為に、真剣に口に鉛筆を銜えて 何度も何度も練習をする。 自立の手段として、一人で知らない街にも旅に出て自信を身につける。 助け合わないと生きてゆけない哲学を、自分自身の頭に刻み込み・・今自分が 幸せで・・両腕がなくても画家のプロになれた事の感謝しながら絵画制作を 今日も続けている。 彼とお酒を呑んだ時に・・彼が・・盃を・・簡単に 唇で結び一気に呑んだ・。 その時に・”美味しいお酒を注いで・もらう ばかりで・・ゴメン”・・。 笑いながら話した彼の事を思い出しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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