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カテゴリ:雑記
この一年、思いがけない言葉を何度か受け取って、正直へこんだ。
たとえば、特に深く考えずに冗談で出た言葉で、相手に不快な思いをさせてしまったことはある。 そのたびに、悪いことしたなぁと反省しなかったわけではないけれど、胃が痛くなるほど考え込んだりはしなかった。 本当に真剣にまじめに相手を思っての発言を完全に否定されたことはなかった。 悪意を持ってそんな発言をしてるんでしょなどという受け取られ方をしたことはなかった。 たとえば、価値観が違って相手の思う回答を口に出せなくても、それはそれなりに私が一生懸命考えてると認めてくれた。 好意的に受け止めてくれる人間としか付き合ってこなかった。 ある人物に、何を言ってもどう言ってもすべて悪いほうに悪いほうに受け取られていやみでしょ、だの、馬鹿にしてるの、だの言われてしまい、どうにも何をしゃべっていいのかわからなくなってしまった。 そのうちに、人に真意を伝えることができないという事実に恐怖するようになった。 何をどういったって、相手に今の私がまじめな気持ちで言っていることが伝わらないんじゃないかと考えるようになった。 世間話や笑い話だったらできる。 でも、相手がまじめに話してることや、落ち込んでいるとき、悲しんでいるとき、何をどういえば私も同じように考えて、悲しんで、悔しさを共有して発言しているか、それがたとえ本当の意味での共有になりえないとしても、決してマイナスの感情から発しているものではないと伝わるのかわからなくなった。 もしも、マイナスに受け止められてしまったら、相手を追い詰めてしまうんじゃないかと思うとどうしても言葉が出てこなかった。 元来、おしゃべりな人間で馬鹿みたいに話を垂れ流してるような人間だったのに、人との会話がどうにも苦痛で、相手にいやな思いをさせてはいけない、傷つけるような発言をしてはいけないと思うと声が出ない錯覚に陥った。 そしてそんな風に自分が思っているということを誰かに話すことさえも間違っているような気がして誰にも話せなかった。 この前、友人にこの思いを告白して、その後、母と話をして。 少しだけ、心が軽くなった。 まだ、恐怖は残っているけれど。 この恐怖は決して忘れていいものではないから、心の隅においやって、かけら程度になってくれればいいなと思う。 昨日、年賀状を書きながら、一人一人友人の顔を思い出して、あぁ、この人たちならきっと大丈夫。 たとえ、言葉がつたなくても、きっと私の言葉は伝わる。 誤解がうまれたとしても、分かり合える日が来ると信じられる人たちで、本当に感謝したくなった。 この一年、閉じてしまっていた自分を少し解放してもいいのかもしれないと思えた。 来年はもう少し世界が広がりますように……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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