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2004.07.12
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正高信男・著 中公新書

 サルの専門家を自称する著者は、「現代日本人は年を追ってサル化しつつある」といっています。
 サル化とは? もともとサルの一種である人間は、努力して「人間らしく」なっていく。ところが、日本人はその努力をしなくなったというのです。

 サルは子どもを大事にする、サルは社会的な動物、だと、思い込んでいましたが、実は実は、サルってとっても外に出るのが苦手で、生まれた集団=家族のなかで一生を終えるのだといいます。著者はサルと人間の違いを、うちの外へ足を踏み出して、個人として自己実現をとげて人生を送れるかどうかだといっています。

 そこで現代の日本。公共の空間をまるで自分の家のようにして、携帯でしゃべったり、化粧したりする女子高生と、ギャクに外に出るのを拒んで自室にひきこもる若者。さらに、就職はしているけれど、親に頼って生きているパラサイトシングル。それぞれ、違う現象のようにみえていたのですが、これらはすべて「なじみの深い同士のなまぬるい心地よさ」を好んで外のあつれきを嫌っている点では同じ。外の空間を無視するか、外を恐れて内にこもっているかの違いだと、いうのです。なるほど。

 なぜこんな子どもたちが出てきたか。著者の結論からすれば、子ども中心の家庭のせい。子どもを、常に新鮮な刺激を与えてくれる「耐久消費財」として、妻が主導権をにぎっている現代の家庭が背景にあります。
 つい、100年前までは、子育ては祖父母の役割で、親世代は働き手だった。農業しかり、賃金労働者しかり。戦後の社会でようやく、女性が働かなくてもいいサラリーマン家庭の主婦がうまれる。
 異論はあるだろうけれど、著者は母親がずっと家にいてやることが無条件でいいこととされてきた、ということに、著者は疑問をとなえています。

 いろいろな実験結果を通じて、人間は40代もすぎると社会的かしこさが衰えることがわかって。40代以降は、人間としては高齢者であること。人生50年というのは今も昔もかわらないこと。ところが、昔なら祖父母のとなる年齢だった50歳以降になっても、現代の親たちは孫ではなく、難しい年頃の子どもと接しなくてはならない。かしこさがおとろえる時期に、そういう子どもと対することが、いろんな難しい問題をうみだしてるのだといいます。

 例えば子どもの心がわからないために、子どもをモノでつったり、あなたのためといってしばりつける。母の庇護の元で「いい子」に育った子どもは、心地よい母と子のカプセルのなかから出たがらない。「家のなか主義」にしてしまったのは、現代の社会の当然の帰結点だと。

 40代すぎて、社会との接点を失っている女性は、例えば勤めにでている女性と比べて、さらに40代以降の衰えが激しいと分析しているのですが、働いていなくても、何かの活動に参加したりとか、外とのつながりがあればこれらの点はカバーできるのかもしれません。
 子どもの自立を妨げる要因は親にもあるのだということ。これは、しっかり踏まえて、しかること、大人との区別をつけることも必要なんだなあ、と読みながら思ってしまいました。
 
 さらに少子化の原因は、「誰かに関する責任を全面的に引き受けることへの心の重荷」という心理的な条件であり、経済的にどうとか、政府が対策をとっても、少子化をくいとめることはできないのではないかといいます。精神的に成長する30歳すぎになって、ようやく子どもをもつだけの心構えができたときを「お産の適齢期」だということを定着させてはどうか。と、提言しています。
 
 なんだかもやもやしていた今の社会への疑問が、頭のなかで整理整頓されたような・・・





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Last updated  2004.07.12 18:39:36


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