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毛利恒之・著 講談社文庫
この夏、知覧へいった。特攻隊の町だということは知っていました。特攻隊というのが、切羽詰った日本が、アメリカの進軍を食い止めるために、人間が乗ったまま飛行機でつっこんだことも。 今でいえば自爆テロのようなもの。 なんてバカなことをしたんだろうと、日本は人の命をどう考えていたんだろうかと。 記念館で売っていた書籍のなかから、一つ、買ったのが本書。 私は見ていないけれど、映画化されて、多くの人が感銘をうけたそうです。 この本は、プライバシー保護のために多少の創作が入っているかれど、事実をもとにしたドキュメンタリー。 佐賀のある学校のピアノが捨てられるのをとめようとして、女性教員が語った特攻隊員の思い出が新聞やラジオに出て話題になったことが発端。 戦争のために芸術の道を捨てた特攻隊員が、せめて最後にピアノを弾きたいと、この学校を訪ね歩いた。 マスコミが、その隊員はだれか、突き止めようとする過程で、思わぬ歴史の闇にぶちあたる。 当の本人と思われる人が生き残っていて、しかも自分はそんな話は知らないと、語ることを拒否する。。 感動の秘話は、実は本書の導入に過ぎず、著者がとりあげようとしたのは、生き残った特攻隊員の苦悩.、戦争の非情さでした。 特攻隊のなかには機体の不備やエンジン不調など、何らかの理由で、引き返さざるを得なかった人たちが少なからずいたこと。それでも、死ぬことを前提に故郷を出てきた彼らは、すでに「死んだ」ことになっている。本人は改めて出直して、立派に任務を果たしたいと思っていても、軍は「名誉を守る」との口実で彼らの存在を消そうとする。生還兵は福岡の振武寮という寄宿舎に”隔離”され、外部との交流を禁止される。 ピアノを弾きにきた特効隊員は、この語りたくない戦争体験を、ついには告白することになるのですが。。。 戦後、特攻隊員は犬死にしたのだという人が増えたことを、くやしく思っていると述べているのを読んだときに、あっと思いました。 特攻という方法は無謀で無駄なことだったかもしれないが、そのために犠牲になった人たちの命は決して無駄ではない。そのことを忘れてはいけない。 記念館にはたくさんの特攻隊員の写真、遺書や日記。実際に沖縄海域の米戦艦に体当たりしていく飛行機の映像。過去のものとは思えない、戦争の「証拠」に、かなりなショックを受けました。 カタカナで二人の小さな子どもにあてた手紙には言葉もなく。自分は特攻隊のこと、戦争のことを本当には知っていないことに気が付かされました。 テレビのインタビューをみてると、戦争のことを常識としてもっていない若者がいることに驚き。 特攻隊員たちの死を無駄にしないということは、私たちが忘れないということ。 戦争を教訓にすること。 ちょっと間違えたら、あなたの、私の問題だということを、私たちは知るべきだし、戦争を体験した世代にも、若い世代に伝えて欲しい。 その意味でも、本書と、それをもとにした映画は、価値のあるものだと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.08.31 23:45:43
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