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カテゴリ:雑談
画像 286 posted by (C)しゅうしゅう ポンペイ遺跡(パン屋の跡地。2010年10月17日) みなさま、こんばんは 寒い日々が続きますが、何とか元気に乗り切っていきましょうね! さて、年が明けてから今までずっと貼り続けてきたイタリアの写真もだんだんネタが少なくなってきました。。 これまでは写真を貼るだけで、観光地などの内容についてはほとんど話してこなかったので、今日は少しだけイタリアのお話をしてみようかなと思います。 上の写真は、ポンペイ遺跡の中のパン屋の跡とされている場所です。 ここで凄いのは、小麦をすり潰す石の臼や、パンを焼く窯などが当時からあったことなんですよね! ポンペイがローマ帝国の支配下に入ったのは紀元前89年のこと。その後、海陸の要衝であったポンペイは主に商業都市として栄えたのですが、西暦79年のヴェスヴィオ火山の大噴火による火砕流によって、ポンペイは一瞬にして地中に埋まった、と言われています。 しかし、一瞬にして埋まったことにより、当時の街並みやさらには人物の姿・形に至るまでがかなり生々しく残されているのでした パン屋さんのほか、石で舗装された道路、中央の広場、大きな貴族の家、公衆浴場、さらには売春宿(?!)などに至るまで、当時の高度で活気に満ちた街並みが再現されているのでした。 すなわち、当時のポンペイ市民たちは、それぞれ仕事を持ち、衣食住も満ち足り、さらに娯楽も楽しむなど、すでに十分に完成された生活を送っていた、と考えられるのでした(奴隷も多数いたようですが)。 紀元前89年から西暦79年というと、日本ではまだ弥生時代ですね(西暦57年に奴国王が後漢から金印を授けられています)。 そんな時代に、すでにこれだけ高度な文明が存在していたという事実は、驚くに値することだと思います。 しかも、彼らは雨水を家の中央に溜めて生活用水として使うなど、光熱水はすべて自然のもので賄っていました。 すなわち、現代人よりもずっとずっとエコで地球に優しい生活を送っていたわけです。 このような思いに耽るにあたり、朝から晩まで時間に追われながら働き続け、お金を貰わなければ生活が成り立たない現代人(特に先進国)は本当に幸せと言えるのか、といった疑問も湧いてきたのでした エコ社会の実現が声高に叫ばれている現代ですが、21世紀に入り、地球の資源の枯渇が始まり、世界経済にも陰りが見えてきた今こそ、こういった過去の歴史から学びとる姿勢が必要なのかもしれませんね さて、今夜も遅い時間となってしまいましたので、この辺で終わりにしたいと思います。 それでは次回もまたよろしくお願いいたします 投票兼ブログ村へのアクセスボタンです。 サラブロではただ今31位付近で頑張っております いつもご愛顧いただきありがとうございます。 また押していただけますと大変嬉しいです ↓ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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