「布引掩体壕」崩落
「布引掩体壕」崩落 東近江市、地権者と保存協議 2号掩体壕の崩落した天井部分を調べる「戦争遺跡から平和を考える会」のメンバー(東近江市柴原南町) 2号掩体壕の崩落した天井部分を調べる「戦争遺跡から平和を考える会」のメンバー(東近江市柴原南町) 太平洋戦争末期、陸軍が空襲から軍用機を守るため建設した「布引掩体壕(えんたいごう)群」(東近江市)で、近畿に3基しかないコンクリート壕が一部崩落し、保存の危機に直面していることが1日分かった。東近江市は地権者と保存策を協議する方針。 掩体壕群は1944年、陸軍が本土決戦に備え、旧八日市飛行場に近い布引丘陵に建設した。東西1・4キロにわたり土壕など17基が残る。うち崩落が起きた壕を含む2基はコンクリート製で、いずれも幅36メートル、高さ6メートル、奥行き20メートル。同様の壕は近畿では大阪府八尾市に1基しかない。 「2号掩体壕」(東近江市柴原南町)と呼ばれる壕の天井が長さ6・5メートル、最大幅1・9メートルにわたり崩落した。壕を調査している大学講師の中島伸男さん(77)が1月中旬に見つけた。崩落部から亀裂が走り、さらに崩れる危険がある。 2号掩体壕は私有地にあり、柵があって普段は入れない。しかし市や市民による見学会が年10回前後行われ、内部に入っている。 1日には、中島さんら東近江市民12人でつくる「戦争遺跡から平和を考える会」が市に保存を要望。西澤久夫市長は「保存・活用を前向きに考えたいが、地権者の意向が重要で協議する」と述べた。 掩体壕群は陸軍が無断で私有地に建設したため、戦後、地権者は壕の撤去や土地買い取りを求めてきたが、国は応じていない。 中島さんは「戦争の実態を伝える貴重な遺跡。地権者は行政の対応が不十分な中でも、市や県の平和学習に協力してきた。良い保存法が見つかれば」と話す。http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20120301000172