カムバック
『女子テニスの元世界ランキング1位で殿堂入りを果たしたマルチナ・ヒンギス(スイス)が29日に米カリフォルニア州カールズバッドで開幕する南カリフォルニア・オープンのダブルスで復帰すると16日、大会主催者が発表した。32歳のヒンギスは大会のホームページで「復帰を楽しみにしている。私の闘争心は健在だ」とコメントした。2007年9月以来のツアー出場となり、ダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)とペアを組む。』
『マルチナ・ヒンギス(1980年9月30日 - )は、スイスの女子プロテニス選手。チェコスロバキア(現スロバキア)のコシツェに生まれる。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
ヒンギスは早熟選手であったことから、女子テニス界における数々の最年少記録を保持している。16歳の時に達成した4大大会初制覇(1997年全豪オープンに16歳3か月で優勝)、世界ランキング1位(16歳6か月)、4大大会年間3冠獲得はすべて歴代最年少記録である。彼女は1998年に女子ダブルスの年間グランドスラムを達成したこともあり、シングルス・ダブルスともに世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。2013年3月4日国際テニス殿堂入りを果たす。』
クルム伊達に続いてヒンギスもカムバックするらしい。面白いのは活躍した時期が若すぎてまだ32歳だということだ。更に殿堂入りした年にカムバックということになる。早熟と言えば早熟でその後燃え尽き症候群になってしまったトレーシー・オースティンを思い出す。古~(^_^;)
『1978年10月23日に15歳でプロ転向。1979年「イタリアン・オープン」の準決勝で、当時の女王クリス・エバートのクレーコート連勝記録を「125連勝」で止めた。同年の全米オープン女子シングルス決勝戦でエバートを 6-4, 6-3 で破り、同大会で「16歳9ヶ月」の最年少優勝記録を樹立した。これ以後、オースチンは対エバート戦で「8勝9敗」の成績を挙げる。この頃からオースチンには“エバート2世”の呼び声が高くなった。1980年4月7日に「17歳3ヶ月26日」で当時の最年少世界ランキング1位に輝く。1981年に全米オープンで2年ぶり2度目の優勝。この時は決勝戦でマルチナ・ナブラチロワを 1-6, 7-6, 7-6 の逆転で破っている。ところが1982年に入ると、オースチンの勝利は激減し始める。8月にサンディエゴで行われた試合が、彼女のプロ生活で最後の優勝(30勝目)になる。オースチンは若すぎた身体の酷使が原因で、慢性的な背中の故障を抱えるようになっていた。1983年にはオースチンは限られた試合数しかこなせなくなり、21歳の誕生日を迎える前に競技生活が不可能な状態に陥ったことから、いつしか“燃え尽き症候群”の最初の教訓として語られるようになった。』
オースティンは何度かカムバックを試みたが遂に表舞台に戻ることはなかった。。。