カテゴリ:カテゴリ未分類
ジェネラル・ルージュの凱旋 イノセント・ゲリラの祝祭 海堂尊 宝島社 「ジェネラル・ルージュの凱旋」「イノセント・ゲリラの祝祭」 2冊続けて読みました。 対比するに、印象は「動」と「静」。「手技」と「口車」。 『ジェネラル』の舞台は救急医療センター、『イノセント』は厚労省の会議室。火の手あがる第一線と、白い静かな日の当たる戦場の違いだと思います。私感申し上げますと、『ジェネラル』がおもしろかった。現場の話の方が好きです。駆け上がりクライマックスでは鳥肌立ちました。つべこべ言う前に目の前の患者の命救え。法規ぶち破って順列狂わせても人の命救え。 「俺の腕が命救う。」 これはかっこいいと思います。でも、 「医療が命、救う。」 当たり前だけど、どこか危うい気がします。イノセント・ゲリラ読んで違和感。ステレオタイプの官僚像作り上げて、バッシングして、医療の現実を述べて。官僚なんて本当にあんな奴らなのですよ、と、知っている方は言うのかな。私は官僚のお友達がいないからわからないけど。でも同じ人間だよ。私にはお医者のお友達もいないからわからないけど、医者だけが医療や命を考えているわけじゃないと思います。 三権分立。 立法、行政、司法。 政治経済はどうもよくわからなくて、忘れかけている中学の公民の授業の記憶を引っ張りだすと、今の現状に首をかしげてしまいます。 政治家主導の立法と、官僚主体の行政はおかしいの?かたや選挙を経て立法府に入り、かたや国家1種試験を経て行政府に入る。官僚である者に、一定の知力はあるのです。知力のある人は能力のある人である確率が高い。科挙の流れを汲んで今もある公務員試験、有効なものなのでしょう。 なんであんなに目の敵にするのかな。 官僚って、『誰』なのかな。 国の『敵』なの? 政治家の『敵』? 極論すれば、公僕なのに、どうしてお給料もらうの、ってこと? 予算は有限で、公務員の人件費が目障りなら、全部、民間にしちゃえばいいじゃん。科挙制度もいらないよね。 どうもね、世間知らずです。わかんない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年02月02日 08時06分14秒
コメント(0) | コメントを書く |
|