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組曲虐殺 井上ひさし 最後の戯曲 かのかたが最後にお書きになったのが、小林多喜二だというのは、いのちと引き換えて物言うことをやめなかった方だということが、かのかたの伝えることへの情熱を表しているのだと思うのです。 「そのひとにとって、かけがえのない光景を、原稿用紙の上に、銀のように燃え上がらせるんです。ぼくはそのようにしてしか書けない。」 小林多喜二の最後を知っているから、戯曲の中で、多喜二が動いたり語ったりしているあいだにも、刹那を感じました。逃げて、やめて、生きて、と祈りながら、彼が拷問死することを知っている。 戯曲の滑稽に微笑を浮かべながら、彼が拷問死することを知っている。 転向してでも生きたらよかったのに、とは、思えなかった。転向してでも生きてほしいと言えるのは、家族だけではないのかな。彼は生きた。生きたのです。 彼のまわりでさんざめく若い女たちが、やわらかにやさしくつよく、美しかったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年08月21日 14時52分33秒
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