カテゴリ:うた
そして悲しく歌うもの
・・・ 室生犀星の小景異情その2 この詩の最初の2節だけ、知っていて、続きを知ったときは、衝撃を受けました。 ・・・ よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ・・・ 同じ経験をした人は多いんじゃないかと思います。活字になったものを読んだこともあります。あれは故郷を恋うる歌じゃないんだ、と、解釈されていたような。 わたしは、「帰るところにあるまじや」を知ったのは高校生のときだったので、この詩に旅立ちを感じたものでした。唇をかんで前を向く少年のまなざしを思いました。帰らない、と決めて出ていく。失敗しても帰らない。帰れない。ふりむかない。 あおーい。青臭い! 今はまた違うものを思います。 この間、讃岐を歩きました。まったく地縁のないところです。 水田を眺め、彼岸花をみつけました。終わった野菜の茎をつみあげて焼いている人。 わたしのこどものころの、わたしのふるさとの風景によく似ていました。 室生犀星の小景異情その2をふと思い出しました。 ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しく歌うもの ・・・いま、ふるさとに帰っても、ふるさとの風景は子供のころとは変わりました。 わたしを育ててくれた祖父母も、もういません。 墓参りにいく道で、変わったもの、変わらないものを数えて歩くようになりました。 そこはふるさとです。 けれど、もう、他所の土地の方が、ふるさとに似ています。 何かがあれば、わたしはそこに帰るでしょう。 けれど帰れない景色が二重写しで揺れて見えます。 歳月は降った。 土地の上にも、わたしの上にも。 さあ。 還暦のころ、わたしは何を思うでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年09月16日 09時04分51秒
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