カテゴリ:読書日記
岩波文庫。
「夏の花」は何度か読んだことがありましたが、「廃墟から」と「壊滅の序曲」は初読。 3日前に青空文庫で「夏の花」を読んだのです。それで原民喜のことを知りたくなってネット検索したところ、遠藤周作にあてた原民喜の遺書が発見されたところでした。 力のある物語は読む時を物語の方から指定してくる。 さて、「夏の花」三部作。 「夏の花」の被爆者のやけどの描写は、こうの史代の「夕凪の街 桜の国」の皆実の母の被爆後の様子を思い出させました。「廃墟から」は、「この世界の片隅に」の21年1月に重なりました。 こうの史代の「おもな参考資料」に原民喜の名はありませんでしたが、それは原民喜が書いたものが小説であったからと、原民喜が書いたものが当時の広島の風景であり記録として共有されたものであったからでしょう。 繊細な筆致で、淡々と、淡々と、当時の様子を書く。文学であるのか、記録であるのか。「夏の花」「廃墟から」は記録に近い。けれど文章が文学たらしめている。 「壊滅の序曲」は、はっきり小説だと思いました。構成から柱だっている。 「夏の花」のラストは唐突に「N」という人物の話になり、「廃墟から」の最後は槙氏の話になります。構成が破綻していて、破綻の程度は「夏の花」がより大きい。 また、「夏の花」「廃墟から」は「私」に語られ、「夏の花」には人物の固有名詞はだた一名を除いて書かれません。「廃墟から」で身内以外の人物に固有名詞が与えられ、「壊滅の序曲」で「私」や「私」の身内も固有名詞をもって描写される存在に変わります。 「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」は、壊滅、廃墟、慟哭の順を、その小説の形からも表現したものと受け止めました。発表順は、確かにこの順番でなければならない、と感じました。 「夏の花」のリアル。書きつくされた風景は、現在の広島の川の景色と重なります。どこの場所が書かれたものか、この町に住んでいるとわかる。わかってしまう。それも衝撃でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年05月18日 16時26分04秒
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