カテゴリ:うた
先日、中原中也記念館に行きました。
おもしろい企画をやっていました。 「中原中也 歩みのリズム」 中也記念館の中庭に、吹き抜けに、中也の詩の一節一節を札にしたものを紐に下げて展示しており、詩句は風にゆらゆら揺れて、ひとつのリズムを作っていました。 生きて ゐるのは 喜び なのか 生きて ゐるのは 悲しみ なのか 札がはたはたしているところに一つの詩情がありました。 もうひとつ、企画は「中也 愛の詩 いとしい者へ」。 中也は、人としては人でなしのロクデナシだと思っているのですが、愛の詩と愛の挿話だけを取り出して読む分には、繊細で、傷つきやすい、仕方のない行き違いや運命に傷つけられた青年の横顔をして、それほどロクデナシ感がありませんでした。 ・・・でもね、ロクデナシだと思うのよ。 2階の展示が、「歩みのリズム」に属するものだったのですが、昼前まで寝ていて、そこから銀座に出て深夜まで歩く、途中で酒も飲んで、「今日も一日何も成しませんでした」て。一日きりなら豊かな感受性に微笑むこともできますが、毎日だったら困ります。 中也がいっそ自分で金を稼ぐことがなかった甲斐性なしであったことを、愛の展示であるからこそ、突きつけた方がいいと思いました。 様々な現実を足蹴にして彼の詩は彼の中から湧き出したのです。 昨日、私は一日広島の街を歩いていました。 私は私の暮らす場を歩く。 私の詩を歩く。 中也の詩に揺さぶられた行動です。 ロクデナシの天才。 なんという詩人! 足の親指に力を入れて 踏み切って 歩く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年11月09日 16時04分34秒
コメント(0) | コメントを書く
[うた] カテゴリの最新記事
|
|