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2014年11月23日
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カテゴリ:読書日記
中原中也との愛 ゆきてかへらぬ 長谷川泰子 村上護編 角川ソフィア文庫


「たとえば、私のことをうたうにしても、息子のことをうたうにしても、すべて運命のなかで、とらえているんですね。いいかえれば、自分の運命的な苦行として、私のことをうたったと思うのです。」

聡明な人だなあと思う。
エキセントリックで「思いつき」の人なのに、自分を客観視できている。
客観視であるからこその無邪気。天衣無縫。大変な人だと思う。周囲の人が非常に大変になる人だと思う。
中也の運命の女。長谷川泰子。

中也はその詩の才能と、詩の才能を自覚した傲慢な放埓と、生活人として失格していることへの自虐、面白がりで、周囲の人を巻き込み、威圧し、関わる人の精神と生活を破壊していった。破壊することで中也は支配した。と同時に、自身も破滅していく。
破壊し破滅した瓦礫の上に2本足で立ち、自分の体だけで詩を歌う。そこまで削ぎ落とさなければ歌えなかったのだと思う。詩人というものは、かなしい生き物だ。

その中也が、支配することができなかったのが泰子であり、あどけないまま死んでしまった文也であったのかもしれない。
「運命」。

彼の破滅が長引いたのは泰子と文也がいたからではなかったか。
泰子と文也は破壊することができなかった。
破壊できないでいる間、彼の破滅はほんの少し修復する。
さあ、その修復を叩き割ろう。そして詩を歌おう。

破れ鍋に綴じ蓋。まさに似たもの同士。ただし鍋も蓋も壊れたまんまで使いようはないことに変わりがないけど。
詩に使いようは要ろうか。

中也は29で死に、泰子は90手前まで生きた。
戦前戦中戦後の時代を無邪気な魂のまま渡りきった。
「運命の女」を全うした。





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最終更新日  2014年11月23日 10時01分03秒
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