カテゴリ:読書日記
【楽天ブックスならいつでも送料無料】太宰治の辞書 [ 北村薫 ] 出ていたのを知らなかった。 図書館で見つけて、手に取って、表紙を見て、あっ、と思った。 「私」だ。 出版社を確かめると新潮で、ちょっと迷う。創元推理じゃないの?でも「私」だ。カバーの折り返しや巻末の宣伝を確かめる。続編とは書いていない。だけど。 表紙を開く。 タイトルの裏に「本にー」とある。ふるえるような確信がくる。小説の冒頭に目を通す。 (ああ、「私」の語り口だ。) 判った。わかる。 北村薫の文体だけれど、「私」の語り口。知っている。会ったことはないが、よく知っている人がそこにいた。 いてもたってもいられなかった。即貸し出しした。家に帰るのも待てなくて、公園のベンチで読もうかと思い、いや待て丁度いい日影がないと気付き、これはレアチーズケーキを用意して「美味しい」に「嬉しい」を重ねねばならぬのではないかと思い付き、図書館の本を汚してはならぬと我にかえる。 それはもう、私が「私」と同い年であった頃の(いや本作では再び同い年くらいになってるみたいだけど)、私が「私」と同じくらい本の虫であった頃の(いや私の読書量は「私」の半分の月15冊程度ではあったけれど)、強烈な読書欲に久しぶりに呑まれました。 楽しい!!! ああ、なんという非日常。 一話目をゆっくりとゆっくりと、大切に読みました。 「私」の仕事。 「私」の家族。 「私」の暮らし。 ああ、そうだったんだ、そうなったんだね、頷きながら。 そして大好きな芥川の、花火についての考察。 いつか、書かれるだろうな、と思ってた。 私は、花火は、高校生のときに教科書で読んだんだよ。 花火の結びの解釈は、私は「私」とも少し違うよ。純粋な一瞬、というのは同じだけれど、仔猫のような令嬢はついに無邪気なまま、生(ブイ)を生きた、その無邪気に昔日の面影を見せているように思えるんだ。あまりに感傷的な鑑賞であるかもしれないけれど。 そして紫の火花は・・・ そんなことを考えることも久々で、だけど溢れるように昔に戻る。ああ、芥川の話だけで1時間語れたこともあったっけ、語れる友も在ったっけ。 こないだメールしたきりだけれど。 この本に会えたのだから、会いたいな、話したいな、また、話したいな。 あなたと。 あなた達と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年06月28日 16時59分37秒
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