湯田温泉
湯田に行くと、やはり中也さんのことを考える。井上公園というより、高田公園の方が、私には馴染み深い。探して歩くと、中也さんの歌碑がある高田公園は工事中で、入れなかった。 ここが私の故郷だ さやかに風の吹いている一族の中にたまさか天才が生まれつき、後世に名を成すけれど、一族は天才に圧倒されていく。それは一族にとっては誇りなんだろうか、痛みなんだろうか。29歳、早死にしたのに、それでもこれだけ壊したのなら。代々と続く中原医院の跡取り息子、幼いころから神童と呼ばれたのに、文学にかぶれたばかりに落第していく。おそらくはこどものころに、あらねばならぬと叩き込まれた道から、転がり落ちていく。転がり落ちても生きていくための資金は実家から無尽蔵にでた。実家の資産は決して無尽蔵ではなかったのに、中也は使いつくして、それでも自分は我慢しているつもりだった。詩人であっても生きていくにはお金がいるのだ。中也は詩人だ。詩人以外の何者でもない。戻れないのはわかっていた。元が賢いんだから自分でよくわかる、自分はもう医者にはなれない。今でも田舎の町の医者。家だけではなく地域にも期待されていただろう。名家の、跡取り息子の、かっての神童。一族あげての援助にも応えず、裏切り続けるドラ息子。瀬戸内の空の下でならもう一度詩精神が還るだろうと帰郷を決めて、帰郷してすぐ病に果てた。もし。もし、中也があと3年生きたなら、どんな詩を書いたのだろう。周囲はみんな顔見知り、幼馴染の環境で、働かないことを理解しえない環境で、歩いても町には着かない環境で、中也は魂を焼きたかったのか。湯田は盆地だ。湯田の空は、瀬戸内の空ではないと私は思う。瀬戸内の空は、中也も乗った山陽本線は今も海沿いを走る、その窓越しから見える空だ。道程は故郷ではない。それも忘れたのかい、中也さん。風は問うことをやめる。 お前は何をしてきたのか。問う価値もない、ろくでなし。「僕は孝行者だったんです」中也記念館、狐のあしあと、中也通り。湯田を歩くと、中也に触れる。「後になればわかります」そうだね。町が中也を包み込んでる。中也分の空虚も、ここにある。