熊本県阿蘇郡高森町 『上色見熊野座神社』
読みは「かみしきみくまのざじんじゃ」。高森町の四大熊野座神社の一つで月形山の麓に鎮座し、地元からは「権現さん」と呼ばれ親しまれ、近年に入って参道の神秘的な雰囲気が話題となった神社。御祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、石君大将軍。農耕、金運の神として霊験あらたかで、縁結び、商売繁盛の御利益もある。石君大将軍は阿蘇大明神こと健磐龍命(タケイワタツノミコト)の荒魂。石君大将軍の兜の中に2柱の神が現れ、その2柱の神は熊野大明神とされ、紀州国の熊野より伊邪那岐命と伊邪那美命を移して奉斎したのが始まりだと言われている。阿蘇南郷地区の総鎮守として社殿が建立されるが、天正年間に兵火により焼失。1722年(享保7年)に現在の社殿が建立される。1897年(明治30年)に鳥居が建立され、1979年(昭和54年)に社殿が改修され現在に至る。一の鳥居から社殿までの参道には220段余りの石段が続いており、その両脇には約100基もの石灯籠が連なっている。木々に囲まれた参道、苔生した石段と石灯籠は非常に神秘的な雰囲気で、まるで別世界のような景色であることからSNSを中心に大きな反響を呼び、雑誌やテレビでも紹介され話題となる。「夏目友人帳」の原作者として知られる緑川ゆき氏のアニメ映画「蛍火の杜へ」の舞台のモデルとなったことでも知られ、国内のみならず海外からも連日多くの観光客が訪れる人気スポットとなっている。一の鳥居。一の鳥居の両脇にある、年季の入った変わった姿の狛犬。まるで異世界の入り口であることを示唆しているようだ…参道入り口の狛犬。参道入り口の賽銭箱。社殿まで行けそうにない場合はここでの参拝も可。参道の途中にある手水鉢。参道。社殿までは220段にも及ぶ石段が続き、両脇には苔生した約100基の石灯籠が連なっている。神秘的な雰囲気に包まれ、参道を進むごとにまるで異世界に迷い込んだかのような錯覚にとらわれる。晴れた日は参道に木漏れ日が差し込み、早朝や雨の日に霧が森を包み込むと更に神秘的な景色となる。ちなみに、石灯籠は1864年(元治元年)と1867(慶応3年)に1対1基が奉納され、1968年(昭和43年)以降に地元企業の後藤食品が毎年寄進したものだという。後述の穿戸磐を鬼八法師が蹴破った際に飛んだとされる岩。参道の途中の左手にある。二の鳥居。当社で最も有名なフォトスポットで、アニメ映画「蛍火の杜」の一枚絵のモデルとなった景観。参道の終点間近になる場所で、最も神秘的な雰囲気が漂う。前述の通り天候や訪れる時間によって見える景色は変わるが、共通して緑色の苔が生している夏の時期が最も綺麗に見える。また冬の雪化粧も美しい。二の鳥居をくぐれば社殿まであと少し。拝殿。月形山の麓に鎮座する欅造の社殿。1722年(享保7年)に建立され、1979年(昭和54年)に改修されたもの。参道とは対照的に日が当たる場所に建てられており、日光が差し込むと輝いて見えた。拝殿の額。本殿。拝殿のすぐ裏側にある。拝殿前の狛犬。後藤戢頌徳碑。当社とゆかりのある食品会社、後藤食品の創業者である後藤戢氏の頌徳碑。社殿の左手に、穿戸磐まで続く道が伸びている。穿戸磐。健磐龍命の従者である鬼八法師が自らの行いで健磐龍命を激怒させてしまい猛追され、逃げようとするもこの岩壁に阻まれ、その際に鬼八法師が蹴破ってできたと言われる巨大な風穴。大きさは縦横どちらも10m以上。伝えの内容から、困難な目標でも必ず達成できる象徴として、合格・必勝の御利益があると言われている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村