大分県佐伯市 『丹賀砲台園地』
豊後水道の防衛を目的に設けられた豊予要塞の一部で、大型のカノン砲が設置されていた要塞跡。豊後水道の守備要塞として1927年(昭和2年)に構築が開始され、それから4年の歳月をかけて完成された。1933年(昭和8年)に山頂にカノン砲が2門設置され、これらは巡洋艦「伊吹」の後部主砲に搭載されていた。しかし1942年(昭和17年)に行われた演習中に、実弾4発の試射をしていた際に最後の1発が砲身の中で暴発。カノン砲は大破し死者16人、負傷者28人を出す大惨事となった。太平洋戦争の終戦後に軍事要塞の役目を終えた後も遺構は残され、砲台があった場所にはドームが建てられており、地下弾薬庫や冷却水槽などの跡も見られる。カノン砲が設置されていた場所にはドームの他に螺旋階段が設けられており、近年ではフォトジェニックなスポットとして注目され、MVやおおいた麦焼酎二階堂のCMにも採用されたことがある。観覧料は大人200円、小・中学生100円。忠魂之碑。暴発事故の直後に生き残った兵士たちによって建立されたもので、裏側には亡くなった16人の兵士の名前が刻まれている。前の方には当時の実弾が置かれている。平和の塔。太平洋戦争で亡くなった旧鶴見町の町民465名の名前が刻まれている。2000年(平成12年)に巻き網船が豊後水道で巻き揚げたプロペラ。戦闘機のものだが断定は難しく、調査の結果、大日本帝国海軍が設計・開発した二式大型飛行艇のものである可能性が高いという。このプロペラがある場所の隣に、地下弾薬庫跡に続く通路が伸びている。地下弾薬庫跡。奥行きのある部屋で中はひんやりとしていて、かなり湿気ていた。砲台跡登り口。ここから山頂近くの砲台跡まで。かつては砲弾の上げ場として使われていたところで、172段もの階段が続いている。現在は小型のスロープカーが設置されており、それに乗って砲台跡まで行けるようになっている。小型スロープカー「伊吹」。この地にあったカノン砲を搭載していた巡洋艦から名前を取っている。係員の人に操作を教わり、自分で操作して昇降する。通路。脂油庫。太平洋戦争当時の写真が壁に掛けられている。主動力室。壁や天井には電気系統やパイプの跡が見られる。諸管溝、通路。壁には太平洋戦争当時の写真や、豊予要塞・丹賀砲台の歴史について記したパネルが掛けられている。水圧畜力機室、上部冷却水槽。水槽は青色にライトアップされていた。砲側弾火薬庫(廻廊)。砲塔井。かつてカノン砲が設置されていた場所。砲塔井の直径は10m、深さは12.8m、厚さ2m以上のコンクリートの壁に囲まれている。巡洋艦「伊吹」にも搭載されていたカノン砲は45口径30cm砲で、射界210°、最大射程距離は30,000m(有効26,000m)。1942年(昭和17年)に行われた演習での暴発事故によって16人の死者を出し、カノン砲も大破した。今も残る壁のえぐれや焼け跡から、当時の惨状が見て取れる。現在は天井にドームが設けられ、中心には螺旋階段も設けられている。近年ではフォトジェニックなスポットとして注目され、写真撮影に訪れる人もいる。砲塔井天井のドーム。砲塔井を雨や風から守る目的で造られた。山頂から見た景色。豊後水道と佐伯湾が一望でき、大島や元の間海峡も見える。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村