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2021.06.14
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カテゴリ:福岡県
学問の神様として知られる天神さまこと菅原道真公を祀る神社。京都の北野天満宮とともに全国に12000社ある天満宮の総本社として知られている。

御祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)公で、学問、至誠、厄除けの御利益がある。

菅原道真公は幼少期より学問に努め、9世紀を代表する学者、政治家、文人として活躍。最終的には右大臣まで登り詰め、日本の政治と文化のために尽くした。しかし、昌泰4年(901年)に左大臣だった藤原時平らによって、無実ながら政略により京都から筑前国の太宰府に左遷される。そして、翌々年の延喜3年(903年)に同地で生涯を終えた。その後、門弟であった味酒安行が道真公の遺骸を牛車で運ぼうとしたところ、牛が門前で動かなくなってしまう。これは道真がここに留まりたいという遺志だと考え、味酒安行はこの地に道真公を埋葬し、延喜5年(905年)に御墓所の上に祀廟を建立。これが太宰府天満宮の起源と言われている。延喜19年(919年)に社殿が建立された。その後道真公の無実が証明され、「天満大自在天神」という御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになった。

学問の神様としての信仰が深く、受験生などを中心に年間を通して1000万人の参拝者が全国から訪れている。








表参道。石畳の参道で、沢山の土産屋や茶屋が並ぶ。写真4枚目の梅ヶ枝餅は多くの茶屋で用意されている太宰府の名物品で、土産としても人気が高い。


表参道で一際目立つ、スターバックス コーヒー 太宰府天満宮表参道店。「自然素材による伝統と現代の融合」をコンセプトに、伝統的な木組み構造を利用したデザインになっている。


太宰府天満宮の一の鳥居。




浮殿。お社の中には「本当にギラギラするけれど何の意味もないもの」が置かれており、何だかシュール。(GA○TZみたいな?)


延壽王院。慶応元年(1865年)から約3年間、朝廷を追われた尊皇攘夷派が滞在し、西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬など大勢の志士達が来て明治維新の策略を立てたと言われている。非公開となっており見学はできない。


東風吹かばの歌碑。「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と書かれている。道真公が都を去る際に、紅梅殿の梅に惜別の想いを込めて詠んだもの。


石鳥居。今からおよそ700年前の南北朝時代に建立されたと推定されており、九州では最古と言われている。県指定文化財に指定されている。






心字池とそこに架かる太鼓橋。心字池は「心」という字をかたどったもので、太鼓橋と直橋の3つの神橋は、仏教思想でいう過去・現在・未来の三世一念を表したもの。この橋を渡ると、心身ともに清められると言われている。


太鼓橋の途中にある今王社。


志賀社。御祭神は綿津見三柱神で、社殿は長禄2年(1458年)に再建されたもの。昔は黒漆と金製金具をふんだんに使っていたと言われている。国指定重要文化財に指定されている。


手水舎。訪れたときは綺麗な花手水が作られていた。


宝物殿。




楼門。朱塗りの堂々とした佇まいの楼門。慶長の時代に石田三成が再興したが明治時代に焼失、現在の門は1914年に再建されたもの。




本殿。国指定重要文化財ここに味酒安行が道真公の御遺骸を埋葬し廟を建て、後に醍醐天皇の勅令を受けて社殿を建立したと言われる。社殿は何度か焼失しており、現在の社殿は天正19年(1591年)に造られたもの。築400年以上経過した今でも、桃山時代の豪華絢爛な様式を残している。


本殿の右手にある、御神木の飛梅。道真公が都を去る際に梅の木に別れを惜しんで東風吹かばの歌碑に書かれている歌を詠み、その梅が道真公のあとを慕い一夜のうちに飛来したという伝説が残る梅の木。


本殿の左手にある、皇后の梅。大正11年に貞明皇后が御参拝された時に手植えされた梅の木。




御神牛。道真公が承和12年(845年)乙丑年生まれであることや、神社の由緒が牛にあることなどから、境内には銅、石で造られた牛の像が数多く奉納されている。この御神牛の頭を撫でると知恵を授かると伝えられている。

福岡県太宰府市 『太宰府天満宮②』​へ続く



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最終更新日  2022.06.04 16:18:01
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