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カテゴリ:佐賀県
御船山の東麓にある武雄市最古の神社と、その境内にあるクスノキの巨樹。神社文書25巻は国指定重要文化財に指定されており、武雄の大楠は市の天然記念物に指定されている。
主祭神は武内宿禰、相殿神は武雄心命(タケオココロノミコト)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。5柱の神を総じて武雄大明神と号する。武内宿禰は政治の補佐官として5代の天皇に仕え、360歳を誇る日本一長寿の神様として知られ、延命長寿の御利益がある。その他にも開運招福、厄除、武運長久、家内安全、安産の御利益がある。 「武雄社本紀」によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山と化したとある。これにより、同乗していた住吉神と武内宿禰が南嶽に鎮座し、武雄社が創祀された。しかし735年(天平7年)に初代宮司の伴行頼に神託があり、太宰府を通じて朝廷に奏請、武内宿禰を主祭神として武雄心命をはじめとする4柱の神を合祀し、武雄宮が建立された。1185年(文治元年)の壇ノ浦の戦いでは当社に平家追討祈願を行い、平家を滅ぼした源頼朝が、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ、御教書を送り深く感謝した。この参詣を歓迎して武雄四代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、それ以来800年以上、現在も流鏑馬神事が継承されている。これを機に武雄神社と源氏との関係は密接になり、将軍家の祈祷を行う関東御祈祷所と御家人の役割が与えられた。現在では武雄の氏神社として、地元民だけでなく全国各地からも信仰を集めている。 武雄の大楠は武雄神社の御神木。樹齢3000年と伝えられるクスノキの巨樹で、パワースポットとして注目を集めている。 一ノ鳥居。1641年(寛永18年)に武雄領主22代の鍋島茂和が建立。肥前鳥居という形式で、柱が太く、笠木の両橋が緩やかに伸びあがっているのが特徴。 射手塚。かつては流鏑馬が奉納される際、射手は落馬したら割腹自決することになっていた。この塚はその自決した射手を葬った場所。 下ノ宮。武内宿禰の子である平群木兎宿禰を御祭神とする。 二ノ鳥居。1672年(寛文12年)建立。 心字ノ池。名前の通り、心の草書体の形をした池で、例祭の日には心身を祓い清める清祓が行われている。また、この池に時折現れる白鷺は当社の使いであるとされているそう。 夫婦檜。御祭神である仲哀天皇と神功皇后の神威により、2本の檜が根元で結ばれ、木の中ほどで再び枝が合着したものと伝えられる。縁結びの象徴と言われており、男女や人間関係、仕事など様々な縁を結ぶとされる。 荒神社。 拝殿、本殿。現在地に遷宮され、改築されたのは1612年(慶長17年)とされている。1964年(昭和39年)に起きた火災により、1970年(昭和45年)に現在のコンクリート造りの社殿に再建された。 訪れた時は、拝殿の周辺に色とりどりの和傘が飾られていた。 手水舎の天井にも、綺麗なぼんぼりが沢山吊るされていた。 城山稲荷神社、塩釜神社。隣にある碑はビルマ戦線戦没者慰霊碑。 武雄の大楠の鳥居。神額には御神木と彫られている。 もみじ通り。美しい青もみじに包まれた参道となっており、秋は紅葉が綺麗になりそうだ。 もみじ通りからさらに竹林を抜けて武雄の大楠へ。 「武雄の大楠」 武雄神社の御神木。樹高は27mで、根回りは26m。樹齢は3000年と言われている。1989年(平成元年)の環境庁の調査によると、全国6位の巨樹とされる。まるで本当に神様が宿っているかのような、神々しさが感じられ、辺りも神聖な雰囲気に包まれている。 下から見上げた武雄の大楠。 根元には約12畳の大きな空洞がある。中には天神様が祀られているという。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.10.11 21:59:44
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