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カテゴリ:福岡県
福岡県福岡市 『筥崎宮①』の続き。
絵馬殿。写真には写っていないが周辺にはハトが沢山おり、餌やりができるようになっている。中には手に乗ってくる個体もいる。 亀山上皇尊像奉安殿。第九十代天皇に即位された亀山上皇(亀山天皇)の木彫ご尊像を安置する。博多区の東公園にある亀山上皇の銅像の原型となったもので、博多出身の彫刻家である山崎朝雲によって造られ、1902年(明治35年)に完成した。総高は612.4cmで、明治時代の木彫像としては最大級の大きさを誇る。 筥松。当宮の御神木。応神天皇が筑紫国宇美の里(現粕屋郡宇美町)にてお生まれになられた際、御胞衣(へその緒や胎盤)を筥に納めて白砂青松の浄地に埋め、標となる松を植えたことから筥松と名付けられた。筥松のある崎ということで「筥崎」の名が起こったと言われている。 楼門。国指定重要文化財に指定されている。1594年(文禄3年)に筑前領主の小早川隆景が建立したもの。三間一戸の入母屋造。「敵國降伏」の扁額が掲げられていることから伏敵門とも呼ばれている。両翼から拝殿と本殿を囲むようにして回廊が伸びている。本殿と拝殿も同様に国指定重要文化財に指定されている。921年(延喜21年)に藤原真材が神殿を造営し、何度か焼失と再建を繰り返した後、現存するものは1546年(天文15年)に大内義隆が建立した。本殿は46坪、九間社流造の檜皮葺で漆塗。拝殿は切妻造の檜皮葺。本殿と拝殿はどちらも神前結婚や祈願の時以外は入れず、また写真撮影は禁止されている。 敵國降伏の扁額。亀山上皇が奉納した醍醐天皇の御宸筆とされており、それを楼門が建立された際に謹写拡大したもの。敵國降伏という字だけ見ると、武力で敵を殲滅させるといった物騒・挑発的な意味で捉えられるが、実際の意味はそうでなく、徳の力をもって導き、敵が自ら靡き、降伏するという我が国のあり方を説いている(所謂"王道")。 西参道の鳥居。 東末社。商売繁昌の神・田畑の守り神を祀る稲荷社、海上交通の守り神を祀る住𠮷殿、子育ての神を祀る乙子宮、不老長寿・健康の神を祀る武内社、手足の守り神を祀る池島殿の5社。 西末社。火除の守り神を祀る民潤社、旅行安全の神を祀る厳島殿、八幡様の親神・家族の守り神を祀る仲哀殿、芸能文化の守り神を祀る若宮殿、海と空の守り神を祀る龍王社の5社。東末社と同じくどの神様が祀られているのかははっきりとしていない。 あじさいの花手水。 筥崎宮あじさい苑。平成の御大典を記念して造られた神苑。1700坪の敷地に、社殿を借景にブルーダイヤモンド、ピンクダイヤモンド、墨田の花火、ロイヤルブルーなどの約100品種、3500株のアジサイの花が咲く。6月のみ開苑されており、入苑料は300円。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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