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カテゴリ:熊本県
小国町の福運三社巡りの一つで、小国郷を開拓した神を祀る神社。「宮原両神社」と称されることもある。宮原祇園社獅子舞は小国町指定無形民俗文化財、中神楽は南小国町指定無形民俗文化財にそれぞれ登録されている。
主祭神は高橋大神(タカハシオオカミ)、火宮大神(ヒノミヤオオカミ)。配祀神に雨宮媛命(アマミヤヒメノミコト)、御妃神二座、御親族の神十六座を祀る。後述の富くじにまつわる逸話から、千両・万両の神様と呼ばれる。 社記によると太古の昔、高橋神、火宮神の兄弟神は阿蘇大神こと健磐龍命(タケイワタツノミコト)より小国郷開拓の命を受け、農耕を起こし民に衣食住を与え、殖産興業などの知識を教えたという。郷土を築き上げた多大な功績を敬仰し、仁徳天皇の御代に高橋大神を祀り、反正天皇の御代に火宮大神を祀ったことで両神社の社名が始まったと伝えられる。平安時代、鎌倉時代に社殿が建立されるが、兵乱によって焼失。1689年(元禄2年)に本殿が再建される。1913年(大正2年)に本殿を解体移築し、楼門、拝殿を新築した。1991年(平成3年)に発生した台風19号により境内の杉の木が倒木し、楼門、本殿、社務所が破損・大破。1997年(平成9年)に再建され現在に至る。 江戸時代に小国郷でも行われていた、富くじにまつわる逸話が残る。小国郷の商家だった橋本順左衛門が、毎朝けやき水源の水神様に自然の恵みを感謝し、小国両神社に商売繁盛を祈願し、夕刻には鏡ヶ池に祀られている恵比寿様にその日の商いを報告するという、いわゆる"三社参り"を日課にしていた。ある日、順左衛門はけやき水源に小舟が入っていくという不思議な夢を見てこれを吉兆だと感じ、富札を買ったところ見事に一番くじを引き当てた。その話を聞いた郷内の城尾村一郎右衛門は、1年以上も水神様、小国両神社、恵比須様に参拝を続け、見事に4回にもわたって一番くじを当てた。これらの逸話から小国両神社、けやき水源、鏡ヶ池は福運を招くと信じられ、現在も参拝した人から様々な福運の話が上がっているそう。 毎年10月14日に御本祭高橋大神祭と献幣式、10月15日に御本祭火宮大神祭、10月16日から18日に御神幸祭、10月19日に御遷座祭が行われている。 西参道の石鳥居。扁額には両神社と記されている。右手に社号碑がある。 征清神徳記念碑。 慰霊碑。 手水舎。 楼門。1953年(大正2年)に宮山を切り開き本殿を解体移築する際に新築された。1991年(平成3年)に発生した台風19号により境内の杉の木が倒木し、一度倒壊したが、1997年(平成9年)に再建された。額には小国宮と記されている。 狛犬。 高橋宮御神木。御神木に両手で触り、その触った手で自身の頭部から足の方までさすると力が得られるんだとか。 拝殿。1953年(大正2年)に宮山を切り開き本殿を解体移築する際に新築されたもの。前面と左右の軒下に奉納された大きな絵馬が掛けられている。 本殿。拝殿背後の少し高い位置にある。正面から見て左の方に高橋宮、右の方に火宮と記された扁額が掛かっている。屋根は台風19号の被害によって一度大破しており、1997年(平成9年)に再建されている。本殿の前には杉の巨樹が2本立っており、2社の境内社が向かい合うように鎮座している(どちらも何社かは不明)。 拝殿と本殿。 社務所。 三神杉。楼門の正面左手にある3本に分かれた杉の巨樹。それぞれの木に高橋大神、雨宮大神、火宮大神の神霊が鎮まっている。 拝殿・本殿のある場所から東の方に、杉の木に囲まれた境内社がある。 天神社、多賀社。天神社の御祭神は菅原道真公で、学業成就の御神徳がある。多賀社の御祭神は伊弉諾尊(イザナミノミコト)で、開運、商売繁盛、厄除、縁結びの御神徳がある。 銭洗い御神水。てぼ(籠)にお金を入れ、御神水をてぼの中にあるお金にかけて清めた後、願い紐に5円玉や50円玉を通して財布に入れる。清めたお金は使うことによって廻り廻って自身に運が巡ってくると言われている。 祇園社(廣峰神社)。御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)で、無病息災、疫病退散の御神徳がある。7月23日から25日に小国町指定無形民俗文化財に登録されている宮原祇園社獅子舞が行われている。 奉納された干支の像。丑、寅、卯、申、亥の像があり、それぞれの像を触るといろんな御利益が得られると言われている。 正面鳥居のすぐ横にある、御神木のイチョウの木。根元に綿貫の隠れ岩があり、両手で触ると力が得られるんだとか。 ↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてね にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.01 23:12:55
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