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若き頃、下剋上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として 勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。 「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。 ◆明智光秀(1526?~1582) 日本史上最大の謎『本能寺の変』の首謀者。主君織田信長を討った逆臣のイメージがあるが、かつての所領では善政を行った名君として、今でも慕われている。 教養豊かな文化人としての一面もあり、戦いの間には一流の文化人とともに茶会や連歌会を頻繁に催していたと言われている。 ◆細川ガラシャ(1563~1600) 戦国時代に名を残す数少ない女性の一人。光秀の三女・玉として生まれ、16歳の時に細川忠興と結婚。父・光秀が起こした「本能寺の変」や味土野への幽閉など数々の苦難の中で、キリスト教に心の救いを求め、「ガラシャ」の洗礼名を受けた。関ヶ原の戦いでは、石田三成の人質になることを拒否し、家臣に命じて自らの命を絶った。 ◆細川幽斎(1534~1610) 光秀の盟友で同時期に将軍家に仕え、丹後を平定した。「本能寺の変」では、細川家を守るため、必秀からの申し出を拒絶して出家。歌道の奥義「古今伝授」の相伝者であり、様々な芸能や故実にも造詣が深く、当代一流の文化人としても名高い人物であった。 ◆細川忠興(1563~1646) 武将、大名として活躍し、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。父・幽斎と同じく文化人としても有名で、茶人としては千利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられ、三斎流の開祖でもある。正室の玉(後のガラシャ)と美男美女夫婦で、妻への愛情は大変深かったといわれている。 激動の戦国時代を生き抜いた4人の軌跡をたどる 京都府・兵庫県・福井県 ゆかりのツーリズム ■ガラシャ・光秀街道をゆく 戦国一の知将と言われた「明智光秀」 光秀の娘にして知性と信念の女性「細川ガラシャ」 光秀の盟友「細川幽斎」 幽歳の息子でガラシャの夫「細川忠興」 戦国の世に激動の人生を生き抜いた4人のゆかりの地を訪ねます。 ◆京丹後市 ▶弥栄町味土野 ▶細川ガラシャ隠棲地の碑 ◆宮津市 ▶光秀の首塚(盛林寺内) ▶細川ガラシャ像 ◆舞鶴市 ▶桂林寺 ▶舞鶴公園 ◆福知山市 ▶福知山城 ▶御霊神社 ◆綾部市 ◆亀岡市 ▶丹波亀山城跡 ▶谷性寺 URL http://www.kameoka.info/ ◆長岡京市 ▶勝竜寺城公園 ▶勝竜寺城 土塁・空堀跡 ◆大山崎町 ▶山崎の合戦古戦場 ▶旗立松展望台 ◆丹波市 ▶黒井城跡 ▶興禅寺 ◆篠山市 ▶八上城跡 ▶高城山 ◆若狭町 ▶熊川宿 ▶熊川いっぷく時代村 ●情報提供(問い合わせと資料請求) 京都府東京事務所/Tel03-5212-9109 〒102-0093 千代田区平河町2-6-3都道府県会館8階 URL http://www.pref.kyoto.jp/tokyojimu/index.html 社団法人 京都府観光連盟/Tel 075-371-2226 URL http://www.kyoto-kankou.or.jp/
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最終更新日
2019年02月12日 19時13分58秒
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