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カテゴリ:日 常
お盆が来るともうすぐ夏休み終り。。の感じがして子供の頃はたそがれモードに入ったものだ。
わたしが小学生の頃の夏休みといえば、和歌山の母の実家に1ヶ月近く兄と預けられ、毎日毎日、 ひたすらセミ取りにあけくれていたような気がする。 ジージーゼミから始まり、盛夏にはクマセミが増え、夏の終りはツクツクホウシに変わる。 いくらでも止まっていて何の苦労もなく取れる手ごたえの少ないジージーゼミで初歩を覚え、 透明の羽に肉付きの良い、見つかりにくい場所にいて逃げ足の速いクマゼミに汗を流して腕を磨く。 数が少なくスマートな外見、用心深く逃げ足の速いツクツクホウシに、夏中鍛えた腕で挑んでいく。 みかんのコンテナに何十何百とセミを捕まえて、次の日に見たらほとんど死んでいた。。 今に思えばなんと残酷なハンターだったか。 どこへでも4つ年上の兄と従兄の後を対等な気持ちでついて回ったけれど、夜のカブト・クワガタ狩り には連れて行ってもらえずくやしかったのも忘れられない。 建替える前の古い家ではお風呂とトレイが離れで、夜怖くておばちゃんに付いてきてもらったこと、 網戸もなくて、夜には畳の上に蚊取り線香に落とされた蚊や虫がいっぱいで、気持ち悪かったこと。 お盆前になると父母がやって来る。久しぶりの両親に妙な気恥ずかしさを覚えたものだ。 お盆は毎夜、御詠歌をあげる。田舎の御詠歌は歌のような節回しがついていて、何曲も歌い続ける みたいな感じ。鐘をつきながらみんなで歌うのもなんだか、妙な連帯感で面白かったものだ。 話がそれるが義母が亡くなったとき、七日ごとの逮夜なるもので御詠歌をあげていたが、 同じ内容でも節回しが全然違う。 違うけれど、義父も親戚の人たちも近所の人も今日日あげないから。。なんて、うろ覚えで まったく要領を得ない。わからないならやらんでえーやろと思うが、あーでもないこーでもないと 言いながらおやっさんに逆らえずにやっていた。 中山寺のところで休憩タイム。仏前とお客にお茶菓子を出し、終わればまたお茶菓子。 同じものでも習慣が全然違う。嫁の立場と義務感からか、苦行のように感じられた。 両親が来ると海や川へ連れて行ってもらえる。 海は今でも行く遠浅の海。浮き輪を頼りに沖のほうまで、ドキドキしながら泳いでいった。 川は水が冷たく、流れと深さがが急に変わる。おぼれかかって父にすがり付いて共倒れに なりかかった。飛び込んだり、魚を捕まえたり、流れで冷やした飲み物やスイカがおいしかった。 お盆過ぎに高校野球も終りにさしかかる。当時は和歌山の箕島高校が強豪で、そのテレビ観戦 で盛り上がる。まさに夏の終りのお祭り騒ぎ。 そしてついに帰る日。切ない気持ちで、山の中の暮らしとみんなに別れをつげて、父の運転で 大阪へ帰る。今のように高速道路が出来ていなかったので、何時間もかけて、真っ暗な街灯もない 山道をくねりくねりと走って帰る。母も兄もわたしも寝入り、ラジオも入りにくい道を黙って運転 し続ける父の背中と横顔を、時折、目を覚まして見たものだ。 家に帰ると学校の宿題に追われる。毎日書かなければいけない夏休みの絵日記、てきとうに話を 作りながら、バックデートで天気もだいたい晴れ?曇り?なんて塗っている間に、始業式が迫る。 そんな変わり映えしない夏休みが毎年繰り返された子供の頃が懐かしい。 せがれはひたすら、おけいごとと宿題に追われる夏休み。 今週はお盆でおけいこごとはない。けれどお盆の用事があるだろう。 1週間更新できなかった間に、花火大会や海に行った。 毎年過ごしていた、和歌山の親戚宅にも泊まったけれど、家も今は新しく祖母もなくなり、 あの頃とは違う。セミ取りもさせてやれなかった。 ニュースを見ると、お盆のしきたりなど関係ない人も多いのかと毎年思うが、出国ラッシュ だそうで。あえて高い・混む、この時期に行かなくてもいいと思いつつ、自由な人たちが うらやましい気持ちもあったり。 今の時期は誰もが忙しいのかブログの更新もみんな少ない。 わたしも何かに追われてそんな日々を送っている。 きっとすぐ、やれやれ、やっと行ってくれた・・って新学期ももう遠い先ではないのだろうけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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