先週末、義母の三回忌を無事済ませて。
春休みから今まで毎日、生活も気持ちも落ち着かない日々を過ごしていたのが一段落。
去年の一周忌では、無事終わった!と気が緩んだところに、落とし穴。
一周忌の様子
義姉からの文句
今まで、何か言われては落ち込んだり、何か言われるぞと思っては欝になったりしていたが、
ここに来て、ちょっと見えてきたものがある。
何か言われても当たり前。ならば、やることだけやって、後はもう考えまい。
来た人に必要以上に愛想良くしたり、話し相手をする必要もない。嫁はあくまで黒子。
来ている親戚の内、半分は義務で、半分は面白半分で来ている。
おやっさんにおべんちゃらを言ったり、気遣うことを言ったりしても、それは本心ではない。
証拠に、法事やお盆などの集り以外に顔を出したり、実際手伝いに来る人などいない。
何年経っても変わらない家を見回して、ちょっと嘲笑の表情を浮かべながら、おべんちゃら。
料理屋でこっそりチラシや店員に値段の探りを入れたり。
年月の経過が、悼む気持ちを風化させ、一人身のおやっさんへの関心も薄れさせてる。
そういうところを冷静に観察できるようになってきた。
今までわたしがいっぱい辛い気持ちになったり、ケンカしたのも無駄だったかというと、
それを通り越してきたからこそ、客観的に分析できるようになったわけで。
前回は無事終わらせた昂揚感があって、その後の落ち込みの反動を大きくした。
今回は、平常心で終われた。ちょっとは学習したかな。
せがれだけは、ますますパワーアップしていたけれど。
行く前から、食事の時には落語をするんだと張り切っていたし、実際いくつかのネタを披露。
お年寄りばかりだったので、聞き取れているのかわからないけれど、とても喜んでくれたし
大勢の大人の前で初めてやったという満足感がせがれにはあったようだ。
食事が出るペースが遅かったので、せがれの余興は助けにもなった