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金曜日授業の後に一泊で南京に行って来ました☆
上海から南京までは汽車でやく4時間と少し(特快はもっと早い) 私達は硬席に乗って出発です。 上海から南京に向かう汽車は、上海を出発し、蘇州、無錫、常州、鐘江 南京、と進んでいきます。 あの日中戦争の時、南に戦線を拡大した日本軍が上海に上陸し、南京に 向かっていったルートとほぼ重なる旅となりました。 私のいる上海大学があるのは上海のザー北区。日中戦争の時に 日本軍の空爆にあい、大打撃を受けた場所でもあります。 南京についてまず最初に思ったことは、「木がでかい!」 上海も道路わきに木を植えているところはありますが、それと比べ ものにならないほど南京はとても大きくて鬱蒼とした感じでした。 歴史を感じましたねー。 【汽車内で思ったこと】 汽車に乗って思ったことは、やはり中国には色々な人がいて、色々な 人生があるということです。 行きは上海発なので、上海人が多く乗っていました。 私の前に乗っていた女の人はきれいな格好をしていて、絶えず 携帯電話で誰かと話をしていました。 電車が特快でないのを聞いて、「買ったときは特快って言って いたのに!4時間半も乗っているなんて絶えられない!」 ともらしていました。 その人は、こちらを何も気にせずに、話をすることもありませんでした。 それとは対照的なのは帰りの電車。 帰りの電車はどこが始発だったのかはわかりませんが、温州行き でした。多くの人が座席を取らずに乗っていて、いたるところで 簡単な小競り合い(座席を取っていた人が座れなかった為)を していました。 私の隣に座っていたのは蘇州にたぶん物の売り買いに行くであろう カップル。そして、斜め前に座っていたのは、雲南省出身の女の人 と、北方出身の男の人(彼らは71、72年生まれ)のカップルです。 しばらくすると彼らはお互いに興味を持って話を始めました。 雲南の人と北方出身の人は、10代の時に出会い、それから10年以上 ずっと一緒にいると話していました。 彼らに「南京では何をしていたのか、杭州には何をしに行くのか」 とたずねたところ、「南京ではアルバイトをしていた、杭州では まだ何をするかわからない」と言っていました。 彼らは、ずっとこのように各地を回りながらアルバイトをして 生活をしているのでしょうか? 途中で車内販売の水を買ったときに女の人が大切そうにティッシュに くるんであるお金を取り出して(ぱっと見た感じ数百元)高いと もらしていました。 暫くすると蘇州行きのカップルの男性の方が話しかけてきました。 どこ出身かと聞かれたので中国人ではない、日本人だと答えると 話は思わぬ方向へ。 前方や後方の座席に座っていた人達にも私達の会話が聞こえたのか、 みんながこちらを見守る中、学生証を見せるはめになりました(笑) それが、あろう事か人から人へどんどんと手渡され、ちゃんと 戻ってくるのかドキドキでした(笑) 日本人を初めて見た人もいたようでした。 興味を持って色々聞かれたので聞かれるまま答えていると、話は お金の方へ。 日本から中国への飛行機が安くて3000元くらいするという話になると 「そんなにお金を持っているのか!」と。 現在の中国は上海でも月の平均収入は2000元を越えるくらい。 俺達は友達だろう!日本に行くからあちらで面倒を見てくれと 言われ、ちょっと困りました。 電車を降りるまでの約2時間 多くの観衆に見守られて話をし、また聞き続けました。 日本人と聞いて顔色を変えた人達も、最後にはニコニコ顔になって くれたので、良かったです。 しかし、私達の会話に入ってきたり、興味深げに聞いていたのは ブルーカラーの労働者、もしくは農民といった感じの人ばかりでした。 途中、蘇州辺りから乗り込んできたビジネスマン風の人達は 別に日本人なんて何も珍しくはないのか、もしくは自分のやることで 忙しかったのか、近くに座っても何も興味を示さず、自分達のことを やっていました。 日本を離れて、中国で暮らして約3ヶ月半。 上海にいても日本と違うところをたくさん感じる毎日ですが、 上海は中国の中でも特別なところなんだと肌で感じることが出来たような 気がします。 この広い中国をもっともっと感じたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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