私たちの看取り
11月28日、母が高熱を出し熱は下がったものの、多剤耐性出てるからそろそろかと覚悟し迎えた私一人の夜シフト。
卒業生きのこAくん、現役きのこYちゃんが心配して駆けつけてくれました。
どうせ眠れない夜だからとシザーハンズをベッド囲んで見てたら、
急に目がいつもと違う止まり方をしました。
「淑子さん、映画飽きたっすか?サウンドオブミュージックのほうがいいっすか?」
の呼びかけに再び目を動かし、
姉や近しい人に連絡をしました。
JJは車を飛ばして帰宅し、姉も駆けつけて、きのこ創設したHちゃんも来てくれました。
姉が9ヶ月でお腹はるので今日は帰るねと後ろ髪引かれながら帰宅し、
せっかく集まったから宴会しよう!とベッドを一番低くして、
ビールで乾杯しました。Aくんが、ボイルなのにソーセージをギザギザカットして
ケチャップに粗塩添えて、みんな爆笑。
結局、うちのホームビデオをみんなで見ました。
サーチも、聴診器も、血圧計も使えない中、
首の脈だけはとれて、50あるから今は大丈夫だねと、
私が風呂に入って五分くらいで脈が取れなくなりました。
呼ばれて慌てて飛び出るとその時は少し脈が取れたのだけど、
唇の色が変わり、完全にとれなくなってから先生を呼びました。
母が一番好きな優しい先生でした。
その前に駆けつけてくれた娘みたいな近所の幼馴染も同席して、
呼吸器を止めて、聴診器とペンライトで確認、
11月29日3時3分、死亡確認してもらいました。
腹水を抜き、カニューレを外し、ラインを抜き、止血をし、縫うところまでみんなでやりました。そのあと何時もの看護師さんたちに連絡して、何時ものように清拭をしました。
いつもと違ったのは綿を入れたことと、私が化粧をしたことでした。
結婚式のときの服を着せて、最後に白い布をかけました。
あれ?目を閉じたのいつだっけ。確かHちゃんが閉じてくれたね。それでヘルパーしてくれてる患者さんの娘3姉妹の長女も来て掃除祭り。
葬儀屋に連絡して喪主になって
…ここまでもドラマだけどここからもドラマでした。
ママの心の恋人、カナダのボブからは花がきてて、ALS48からも花がきてて、
このブログでずっと応援しあってきたわくさんがきてくれて、
葬儀屋も泣いてたし、
母のふざけだビデオ上映して笑ったし、
とにかく母の最後はこんなにぎやかな感じでした。
さぞかしサクライヨーコはさみしく過してると心配の方、
それが朝は近所のおばちゃんがダンゴ持ってきてくれて起され、
韓国の両親を空港に送って、帰ったら掃除してくれた長女さんと幼馴染のヘルパー、
二人キムチで飯食ってましたwww
掃除してくれて助かった。
すっかり養われていてまったく申し訳ない。
でも人が作ってくれるご飯、超うまい…。
母の遺した財産は縁。これからもここで生きて行く。
メールくださった皆さんありがとう。
最期まで自分の手で出来たから私、後悔してないよ!
これからもママの言う通り、always keep smiling。