テーマ:骨髄バンクのドナー体験(33)
カテゴリ:骨髄バンクドナー
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~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~ 当日私は5時半には目が覚めました。 朝6時には起きて排便を済ますように、とのことでしたが…。 いくら前日に下剤飲んでいるからって、飲まず食わずの状態で出るわけないだろう、とつっこみつつ、お腹をぐりぐりもみながら何度かトイレに向かううちに何とか便を出しました。 そして、下着は何も着ない状態で浴衣に似た手術着と肺塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)予防のタイツを脚に着用したのですが、タイツ、きつかったなぁ。 で、「その時」を待っていると、朝8時前に小熊がやって来ました。 小熊とは手術の内容とか、その他日常的にやるような無駄話をしてました。 そして8時30分。 小熊としばしの別れの後、B先生と看護師さんによって、私を乗せたベッドが病室を出て、普段一般人は入れない入り口から入って手術室に向かいます。 私はベッドに寝たままで天井しか見えてないので、今の位置がどうなっているのか、な~んにも分かりません。 病室からエレベーターに乗って、エレベーターから手術部に着いて…。 エレベーターから手術室の前に到着すると、大きな病院だけにその日は他の手術がたくさん入っているらしく、同じようなベッドが何台も並んでおりました。 手術室までの自動ドアが開いては閉じ、しばらくしてまた開いて…を繰り返しているうちに、私たちの番がやってきました。 そこで前日説明を受けた麻酔科のC先生に会い、手術着を脱いで素っ裸になって(上にタオルケットはかけてありタオルケットかけた状態で手術着脱ぎました)手術室用のストレッチャーにベッドから転がるように移動した後、手術室まで運ばれました。 さっきまでも、この作業を流れ作業のようにやっていたのでしょうね。 手術室に運ばれるまでも、私は天井見ているだけですから周りがどうなっているかは分かりませんが、先生や看護師さんの「○番(の手術室)に入る」ような情報から、実は手術室はたくさんの部屋があって結構広いのだと分かりました。 世間知らずな私、テレビで見た感じのように病院って手術室は1室しかないと思っておりましたから…。 そしていよいよ、手術の前処置が始まります。 その時点ではまだ実際に骨髄取る先生には会わなく、麻酔科のC先生と看護師さん2名(ベテランと若い人)による前処置が始まったのです。 まずは名前の確認(患者さんの取り違え防止でしょうね、他の病院では患者取り違えがあったなんて報道度々聞きますから)。 次に看護師さんに不織布でできたような頭のキャップをかぶせられ、次々にタオルケットで隠してもらいながら心電図など測る電極を上半身のあちこちに付けられます。 それが終わると麻酔科の先生は私に右利きか左利きかを聞きました。 「右利きなら(私は右利き)右から麻酔薬を点滴して、後で(意識がなくなってから)左に点滴をいれるから」ということのようです。 その後腕にはめていたネームバンドが切られ、そしていよいよ麻酔薬の点滴の針が私の右手の甲に刺さりました。 まぁ、それなりに痛かったですが、針が痛かったというよりは何となく異物が手の中を通る気持ち悪い痛さ、という表現の方が正しいかも知れません。 で、その点滴の針には特殊な仕掛けがあるらしく、そこから何か細い管を手首に通しているようでしたがそれがどうなったのかは覚えていません。 その間私は看護師同士の会話を聞いていました。 若い看護師さんにベテランさんが「これは○○で、これは△△で…」と機器の説明をしているのを聞きながら「本当に大丈夫かなぁ…」と、不安が消えないままテレビでもよく映っている心拍数のモニターを眺めておりました。 ベテランさんは私がたぶん不安そうな表情になっているのをみて、私が痛がっているものと勘違いし、「大丈夫?」と聞いてきました。 イヤ、私は大丈夫なんだけど…。 それよりこの心電図モニターが「ピ~~~~~」と鳴り続けた状態になったらいやだなぁなんてことばかりを考えていました。 …で、次の瞬間、「太陽仮面(仮名)さん、起きてくださ~い」という看護師さんの声で私は目が覚めました。 気がついたら私は病室にいて、顔には酸素マスク、左手首(甲側)には点滴の針が刺さっていて、上を見ると黄色い液体(止血剤入りだそうです)と取った自己血と抗生物質のパック。 尿道にはカテーテル、体には色々なモニター類の電極、右手人さし指には酸素の状態を見るモニタ、右手首に新しいネームバンド。 えっと、私、さっきまで、心拍数モニター見てたよなぁ。 しかも、見てたのはせいぜい1分、そんなに長い時間でもなかったよなぁ。 すると私は全く眠くなる過程を知らず、突然どこかで眠りに入ったわけなんだ…。 もちろんうつ伏せにされたことも、腸骨にボールペンの芯くらいの太い針を100回以上も刺され続けていたことも、ま~ったく記憶にないわけです。 そして小熊が見えたので、話をしようと声を出すと…。 12時間以上飲まず食わずだったせいか、声がガラガラです。 脚を動かしたり寝返りを打とうとすると、カテーテルの入っている部分が何だかこそばゆいし…。 しかし一番不自由なのは左手首の甲側に刺さっている点滴の針。 手首を下手に動かすと点滴の針が刺さっている部分が痛い、動かさないと肩や肘が痛くなる…と、もうパックを押して早よ献血終わらせたろか、と思うくらいでした(そんなことすると点滴しているところがさらに痛むのにね~)。 小熊がしばらくして仕事で出て行くまで色々しゃべりましたが、未だ意識がもうろうとしていたこともあって、正直どんな会話をしたのかは覚えていません。 16時過ぎに、外来でお世話になったA先生と入院中お世話になっているB先生、そして看護師さんが来て水が飲めるか、そして排尿に問題がないかを調べ、この時点で酸素マスクと尿道カテーテルが外されました。 それにしても、カテーテルを外される時、自分でも下半身丸出しの状態を若い男の医師に見られても平気なのが今思えば何とも恥知らずで恥ずかしい…(お産なんかで下半身丸出しを見られているという状態がないので余計)。 でも、一番邪魔で外してほしい点滴については、「また何か起こった時にすぐ処置できるように明日の朝まで付けさせてください」ということでそのままでした(泣)。 夕方に麻酔科の先生からも、手術の経過について報告がありました。 手術中全く異常がなかったこと、骨髄液は1000mlの予定が800ml採取したこと、あらかじめ採血した自己血の1本目は手術中に、そして2本目は術後に行ったこと。 この夜は、お腹が空いていたこともあって夕食はいつも通り完食でしたが、37.7℃くらいの微熱もあったし(寒気したり、頭が痛くなったりはせず、ただ暑い)、点滴で左手の自由が全く奪われているおかげで下手に寝返りも打てず、本当に眠れませんでした。 まぁ、とりあえず終わって、ほっとした気持ちが大きかったのは事実です…。 とにかく、点滴地獄、外出禁止から早く自由になりたいなぁ…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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