テーマ:骨髄バンクのドナー体験(33)
カテゴリ:骨髄バンクドナー
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~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~ 時計がありませんでしたので時間は分かりませんでしたが、6時前に目が覚めたと思います。 要介護状態は正直辛いです。 いくら私が引きこもり体質だといっても、体の自由を奪われた状態で病室に閉じこめられるのは精神的にきついです。 トイレまで距離が遠かったこともあり、そして点滴を夜は量を減らしているとはいえ四六時中していると小が近くなるので病室内のポータブルトイレで用を足し、汚物をナースコールで呼んで看護師さんに処理してもらい、そして食事前後(持ち運び)に歯磨き(病室内の洗面所まで自分で行くことさえまだ禁じられていたのでベッドの上でするんです)にと看護師さんの手を借りないといけないのです。 もう、そのすべてが、屈辱で屈辱で…。 マゾ趣味のある人ならともかく、私にとっては地獄でした。 ともあれ、私なんぞは1日2日なんで、介護する方もされる方も大したことはないのでしょうが、これが何ヶ月、何年と続くとそりゃぁ介護する側はプロでない限り(プロでも?)まいるし、あまり語られませんが介護を受ける側もどこに行くにも誰かの手を借りる必要があるので不自由きわまりないのでストレスたまるだろうし「申し訳ないな、自分が他人に迷惑かけて」と罪悪感も持っているのだろうな、と感じたのです。 だからといって、医者の指示を守らずに無理をして歩いたりして、また体調がおかしくなって入院延長、なんてことになったら元も子もないので悲しくも大人しく病室に閉じこめられておりました。 10時前、ちょうど抗生物質の点滴が終わる頃先生が来て、心拍数や採取部位に問題がないかを確認された後、心拍数モニターも外され、採取部位に貼られたのはガーゼから絆創膏に、そしていよいよ点滴も外されました。 いや~、もう、点滴の針が外れた瞬間って、天国にいる気分でしたねぇ。 歩けるとなれば、先生も看護師さんも去るやいなや、すぐにもう誰にも遠慮はいらんとばかりに階段で売店まで行き、10階ほどの病室まで階段上って帰ってきました。 これは、手術前よりも楽な気がしたんですが、そりゃぁ貧血寸前の手術前より、元気いっぱいの時の血を800ml体に入れたんだから(骨髄液を800ml抜きましたが)、息切れしにくくなるのも当然かもしれません。 まぁそれでも、知らん間にあまり寝ていなかったのでしょう、病室に帰ってケータイをいじりながらベッドにごろりと横になっていると、看護師さんがドアをノックするまでいつの間にか寝ていたようでした。 夕方に接待ゴルフの帰りということで、小熊が来てくれました。 売店に行ったり、階段使って病室に換える途中で各階をちょこっとのぞいてみたり。 私が前の日ベッドの上で待機していた手術室前のスペースも覗いてみました。 休日のせいかがら~んとしておりました。 ちょうど病室に帰ってきてしばらくすると夕食の時間になっておりましたんで、小熊に食事の乗った盆を運んでもらい、食事をした後また小熊に片づけをしてもらいました。 それからまもなく小熊は帰って行きましたが、1人になるともう暇で暇で仕方がないんですよね~。 本を読むったって「功名が辻」も「夜回り先生」も持ってきた分は手術前日に全部読んでしまいましたし、ケータイばっかりピコピコいじっているのも疲れるし…で、仕方なくテレビを観ることになったんですね。 で、テレビを観ている時に看護師さんが来て、私の腰に貼られているガーゼを絆創膏に換えてゆきました。 その時はまだ傷口から出血していましたが、特に問題がなかったようで。明日帰れる、と思うと、もう幸せいっぱいであんまり眠れませんでしたね~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月07日 00時59分07秒
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