カテゴリ:思うことあって…
海賊問題から、ソマリアという国の現状とか、この国に限らず中東やアフリカの多くの国で行われている「女性器切除(女子割礼)」についての実態を目にして背筋が寒くなった太陽仮面です。
まぁ、だいたいのところはWikipediaとか黒柳徹子さんがソマリアに行った時の報告を読んでもらえばどんなものかはお分かりになりますが…。 (それ以上のことは、検索でもかけてください) 私思うに、この行為のえげつないところは、ただ単に、人道的でないとか不衛生だとか、やられた後のQOLが大きく低下する、などという問題ではないんです。 それだけが問題だったら、 「衛生的な病院で麻酔かけた上で、ごく一部だけ切り取る(←中東やアフリカの多くの地域では主にこの方法)か、陰部封鎖しても今後も消毒に気を遣いながら生活し、初夜や出産の時はまた病院で丁寧に開いたらエエやないの」 という論理も成り立ってしまいますからね。 私が問題の本質だと感じるのは、「女性に選択肢も選択権も知る権利もないところで行われること」、つまり ・女性がろくに教育をうけられない、大人になっても女性が自分の体に決定権を持たない(自分で、それをするか否か選択できない) ・なおかつ、他にろくに情報が入ってこないあるいはある価値観以外は絶対に悪とされている地域で ・たぶん、その苦痛も、女性同士ででも相談したり、悩みを共有するところもなさそうというか考えられないあるいは許されないだろうコミュニティ状態で ・どんなことをするのか、今後どうなるのか何にも前もって真実が語られない中 (なので、女性器切除を受ける前の何も知らない小さな女の子たちはこれを受けることを「大人になれる、お嫁に行けること」として待ち望んでいるそうです) ・ある日突然、しかも苦痛を感じても少人数の力で押さえつけられる子供のうちに ・「その地域で結婚権(といっても10代前半での周りから無理矢理させられる結婚)をえられる」という以外、女性にとってなんのメリットもない状態で 行われる、ということ。 日本みたいに女性器切除なんてこと大昔から考えもしない、むしろそうすることが変人のようにいわれるであろう国で、本人が決定権を持った状態(要するに大人の女性)で「どーしてもしたい」というなら「勝手にせえや、せやけど結果がどうであれ私らにやれやれ言わんとってな」と私は思いますが…。 しかももっとこの問題の根深いところ。 当事者の女性たちも少数ながら、苦痛を与えるだけのこの行為に疑問を持ち、声を上げていっているし当事国としては(建前だけでも)禁止しているにもかかわらず、まだまだ多くの女性たち自身の中に「女性器を切除して当然、いやむしろ正しいこと」という意識が根強いこと。 なんと、自分がかつて泣き叫び、今も痛い思いをしているその行為を、おまけにヨーロッパ諸国など、他から情報の入らない自分の国ではなく、他からいくらでも情報が入ってくる国にいてさえ自分の娘に行って(行おうとして)有罪になる人も後を絶たないそうで…。 娘の幸せを願っているなら 自分がずっと辛い思いをしてきたから、娘にはそんな辛いことをさせたくない と思うのが親の感覚だと私は想像してきたのですが。 そこらへんは親が「娘の幸せだと信じて心を鬼にして」やっているのか、「私は既に痛い思いしてて、しかももう元には戻らないのに、娘の代になって痛い思いしなくても幸せになるなんてずるい。娘の幸せなんて(意識してなくても潜在的に)許せないから、娘の痛みを内心喜んで」やっているのかが分からないので断定はできませんが、 ・何千年も続いてきた風習であること ・女にとって「結婚」が、本人だけでなく一族の生命にもかかわる重大なものという意識が抜けない ・同時に、「切除していない女は清められていない」という意識も根強い ・自分がそうやって幸せだと信じてきた。だからやらないで幸せでいられるなんて信じられないという思い ・自分たちが「正しい」と信じてきたことを、そういう風習のない文化を持つ「かつて自分たちを抑圧してきた」地域の人間から、頭から否定されたような気がして意固地になっている なんかが女性器切除を女性の手で自分の娘を含む他の女性に行っている理由なのだとすると、やはりここはこちら側としたら不本意でも、頭から 「女性器切除は危険で野蛮な行為だからやめなさい」 というのではなく、まずは 「女性が教育を得、イヤなことに『ノー』と言えるコミュニケーション力を持ち、自分の力で生活できる力を持たせることと同時に、やるには深い深い理由がある、その理由の理解から始める」 こと、そして 「昔はそれに意味があったのかも知れないけど、今はそれは時代にそぐわない。そんなことをしなくても女性が女性として、人間として生きてゆけることを意識させる」 がこの行為をなくす力になるのかな~と思います。 このことに限らず、人間って頭から否定されたり禁止されると反発しても、まずいったんその行為が受け入れられた上で、そうしなくても他によりよい選択があると分かると人間はその行為をやめるあるいは減らす方向に行きやすいものですから。 そしてその上で、既に「もう、切除してしまった人」のいろいろな悩みに対する身体的、精神的ケアも必要かも知れませんね。 それでも、なくなるには遠い遠い道のりが必要だと思いますが、千里の道の一歩はもう、というか既に何歩も踏み出されているだけに、決してなくすことは不可能ではないと私は考えます。 (そのために地道な活動を根気よくやっている人は世界中にたくさんいるんですしね) もっとも、そのために私に何ができるかといえば、アフリカからの難民受け入れがなくこの行為の事実になじみがない日本にこうやって女性器切除の実態を知ってもらうこと、募金などの形で廃止団体に支援を行うこと、そして何よりも自分自身がもっと自分の体に対して愛情と主体性を持つこと、くらいしかありませんが…。 自分の中でも新たな「千里の道も一歩から」を決心した太陽仮面の今日二つ目の独り言なのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月24日 22時40分22秒
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