テーマ:空手道(581)
カテゴリ:空手
再来週の試合に出る選手への追い込みで、道場が熱いのが嬉しいばかりの太陽仮面です。
で、今日は整骨院に行った後、フリートレーニングに行きました。 最初は選手のKさんを特訓していましたので私はおとなしく基本稽古などしていて、その後先生に伝統型の要素、前屈立ちや猫足立ち、そして回し受けのことをいろいろ見てもらいアドバイスをいただきました。 いやもう、私がいかに普段一所懸命自分でやっているつもりで、実はええ加減に稽古をこなしていたのかがバレバレですわ。 そして私が伝統型についてつい口を滑らしたこと 「『最破』は審査でやりたくない。なぜならみんなやってるから、比べられてしんどそう」 を先生が聞き、言葉は穏やかなものの厳しい表情で 「みんながやって比べられるからこそ、やる価値があると思いますよ。他の型をやって、きちんと出来ない方が恥ずかしいですよ」 と言われた言葉に、私は自分が昇段審査の伝統型を心の底では甘く考えていたことを心底恥じましたわ。 で、心底恥じて、自分の予想以上に『黒帯』というものが自分から遠いポジションにあることも感じて、だからこそ 「私には無理」 と逃げるのではなく、 「自分からアグレッシブに、全力でこれからの稽古をやってゆこう」 と思えたのですわ。 そう、最近の私、実はまた空手に対して投げやりになっていたんですわ。 先生や先輩方が自分の名前入りの黒帯を締めているのがまぶしすぎて、そしてみんな強いから、「私がそんな帯を締めるなんて」と躊躇してたんですわ。 でも、今日分かりました。 その気持ちは「全力でやることからの『逃げ』」やったな、と。 黒帯から逃げたら、全力でやる必要はない。 今の状態で「楽しい」範囲で適当にやってりゃいい訳ですからね。 逆に、「自分にも黒帯を締める価値がある」と認めてしまったら、これから 「○○(流派)の黒帯」 として、今以上に頑張らないといけない。 もう、「『ベストを尽くす』ってどこまでやりゃいいの~??」なんて甘いことをいってられず、ただやれるだけやらなきゃなのですわ。 さらに稽古だけならともかく、人間としても高いところに行かないと誰も私の言うことを聞かないでしょう。 でも、その苦しさや痛さを味わってもそれ以上に黒帯になってからの魅力を感じているだけに、私はここで周りの方々の「厳しくて、しんどくて、痛い協力」を喜んで受ける気になったんですわ。 私の心の応援がみんなに伝わるように、試合にも勝てる力もつけたい。 そして黒帯になってからも、演武で型をやったり武器を使ったりで武道の世界を広げたい。 何よりも、「私は生きている」という今以上に強く時々刻々感じたい。 (40近くになって初めてです、こう強く思ったのは) そんなヴィジョンや欲望を思うと、今、やらなアカンと言うよりやりたいことがまたいっぱいでてきて、黒帯になるための稽古に対する意欲がわいて来ましたわ。 というわけで、谷村有美の「好きこそものの上手なれ」という歌にある 「あきらめない心に未来は来る」 ことを信じて、明日からの稽古、自分から厳しいところ、しんどいところ、痛いところを積極的に求め取り組んでいこうと思うと怖いけどワクワクが止まらない太陽仮面なのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月07日 01時45分52秒
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