職員室の拭き掃除を終えて『今日は○色だった』とみんなに報告
親戚の法要の引き出物でカタログギフトを頂いた。早速、掲載商品の写真や説明を、あれもいいな、これもいいな、と爺婆二人で話しながら楽しく見たり読んだりした。買い換えたかったものや、新しく欲しいものやら、いろいろな思いが二人の頭の中を横切ってそれぞれの思いが言葉になってぶつかり合った。どれにするか、なかなか決まらなかった。あせることでもなかろう、と、しばらくほおっておいた。一ヶ月ほど経って、ふと、思い出して、カタログを探したが、どこに仕舞ったのかすっかり忘れてしまった。これまた、あせることではなかろう、そのうちにどっかから出てくるだろう。と、のんびり構えていたら、案の定、思いがけないところから出てきた。大切に仕舞いすぎていたのだった。で、改めてなににしようかな、と、パラパラとめくってみた。何回めくってみても、いつも、ミシン(ソウイングマシン)が一番、目につく。そういえば、わがやのミシンは、孫達の繕い物のためにお嫁にいってしまっている。爺婆の繕い物のためには、余り沢山の機能はいらない、簡単な機能だけのミシンで充分である。と、ミシンを頂くことにした。野良仕事や近所周りで過ごすための衣類は、繕いもので充分である。いやいや、近くの商店やスーパーくらいでも、繕いした衣類で充分買い物に着ていける。エコだの節約だの言いながらも、繕い物を着る人は少ない。小学5,6年生の家庭科の時間に、運針をならい、手拭いで学校の掃除をするための自分用の雑巾を手縫いした時代の爺婆である。家庭では、足踏み式のミシンで繕いもしていたものだ。上着だろうと下着だろうと繕えるものは何でも繕って着ればよい。鶏を飼って、生みたて卵を食べ、廃鶏になれば、両足を縛って木の枝にぶら下げて、出刃包丁で首の血管を切って、血を抜いて、バケツの熱湯に入れて羽根を抜いて、解体処理をして、爺婆だけでは食べきれないので、ご近所にもおすそ分けし、それでも余れば冷凍庫に入れておく。野菜は自家製で、取れすぎれば、湯がいて冷凍保存すればよい。消費税が何パーセントになろうと、自家製の食品にも、繕い再生衣類にも、税は一切かからない。自分だけのオリジナルの料理であり、ファッションである。子供の頃から、手作りの生活をしていた者の誇りである。自分が縫った濡れ雑巾で学校の中を拭き掃除し、雑巾が破れたら繕って使っていた。男子生徒の何よりも楽しみは、職員室の拭き掃除の当番の日であった。若い美人の女の先生の机の下の拭き掃除は、早い者勝ちであった。そして、職員室の掃除を終えて教室に帰って、『今日は○色だった』と、面白おかしくみんなに報告するも、楽しみの一つであった。だからこそ、少々の熱くらいでは、学校を休むのが惜しかったものだ。そして、皆勤賞や精勤賞を貰う者が当然の如く多かった。楽しい遊びを考えるのに忙しくて、いじめなんぞやってるような暇なぞ誰にも無かった。よろしければ『ポチーッ』とお願いします。