昨今の企業の不祥事につけて思うこと
政治家と芸能人のうわさ話は、とかく面白いものである。有名税の一つでもあるようだ。有名度と不祥事に応じた税がかかるそうだ。政治家の場合は選挙で落選、芸能人の場合は芸能界からの失脚などという重税をかけられることだってある。もっとも、この重税を糧にして地獄の底から逞しく這い上がって、見事に返り咲きを果たすひともある。さて、企業の場合は、どうなのだろう?詐欺は犯罪であるが、錯誤は犯罪にはならないらしい。詐欺と錯誤の境界は有ってないようなものである。ましてや、企業内の個人を特定することなんぞ、捜査権のない外部の人間にとっては至難の業とも思える。マスコミとて、企業は広告を通じた重要な収益源である。新聞等の購読者より発言権は大きかろう。テレビの世界では民放は、視聴料の支払いのない視聴者の発言権はあるようでないようなものであろうとも思える。NHKとて、その他大勢・一般大衆でしかない聴視者の発言権はやはり、あるようでないようなものであろうとも思える。Webサイトの世界であっても、強大な検索大手に多額の広告料を支払えない大衆の声が、検索上位にあげることは少ないものであろうと思える。これらのことから考えられることは、良識も金で買える、ということであろうか?真の良識よりも大衆受けのする良識が世間を駆け巡っている、ともいえようか?もっとも、真の良識といっても、誰がその定義をきめるのか、と問われれば、これとて、矢張り多数の大衆で決められるものであろうし・・・とすれば、それぞれの人にとって最も大切なことは、自分のしっかりとした信念をもつことであろうか?そして、豊富な情報量のなかから、臨機応変に柔軟に自分自身の信念を運用することであろうか?これが、後悔することの少ない人生にとっての大切なことの一つであろう。誰が、どこで、どんな不祥事を起こそうと、不祥事を起こした人の人生である。企業がどんな不祥事を起こそうと、しょせん、かかわった人たちの人生である。個々人にとっては、彼らの不祥事を論じることよりも、自分は勿論、他人の人生を尊重することが最も賢明だとも言える。よろしければ『ポチーッ』とお願いします。