JOKE…こちら笑って健康放送局。人生邂逅・・・松岡三郎先生
1956年3月20日…この日は、公立高校の合格発表の日であった。 僕はY町に住んでいたが、そこからバスで2時間かかるH市にある、全県校区の県立H工業高校電気科を受験していた。全県校区とは、県下全域からの受験が可能である、ということである。※ ※ ※ ※ ※中学生の頃、「五球スパーラジオの組み立て」という新聞の広告が目についた。「文部省認定通信教育」で東京都豊島区にあった「ラジオ教育研究所」というところであった。五球スパーラジオ・・・というのは、球(真空管)が五本で鉱石ラジオ、四球再生式ラジオなどの不安定な受信・再生であった方式に対して、スーパー・ヘテロダイン検波という、安定した受信方式の新しいラジオ受信方式のラジオであった。屋根の上に張った長いアンテナで受信した電波を、バリコンと高周波コイルで受信したい放送局の電波の同調させて選んで一本の高周波増幅管に送り込んで455KHzに変換・増幅して、その信号を455Khzに同調する二本の中間周波トランスに挟まれた中間周波増幅管、その両波の片側の波形だけを取り出す検波管、それをスピーカを働かすために増幅する低周波電力増幅管、そして一本の100V交流電源かこれら四本の真空管のプレートに供給する高圧直流電源用の交流検波管の五本の真空管で構成されていた。真空管の陰極ヒータの加熱用と受信放送局の選曲ダイアルパネルの照明用豆球には6.3Vの交流を供給していた。電源トランスは、250V程度への昇圧して陽極に供給する直流電源電圧用と6.3Vの降圧用が一つのトランスで供給出来るものであった。真空管として最初に世の出たのがST管であった。その後、かっこよいGT管ができ、更に小型の大人の親指程度のミニチュア管、略してMT管と呼ばれていた。MT管が出回り始めてから、急速に携帯できるラジオが普及し始めたのであった。※ ※ ※ ※ ※その、「ラジオ教育研究所」に申し込んで、ラジオの通信教育を始めて、教材で五球スーパーヘテロダイン検波の受信機を組み立てて、それまでの古い再生式ラジオに替えて、最新式のラジオで放送を聞けるようになったものである。丁度そのころ、関西では新日本放送(現MBS)と朝日放送、関東では文化放送と東京放送とで、ステレオ放送が始まったばかりであった。二台の受信機を並べて、右が○○放送、左に△△放送にダイヤルを合わせて下さい。「今から試験放送を始めますので、その音が二台の受信機の真ん中から聞こえるように音量を調整してください」、とアナウンスがあってメトロノームの音が聞こえてくるのだった。※ ※ ※ ※ ※中学生時代には、こんなことがあったりして、高校の受験校は、国内には三校しかないそのうちの一校である、五年制の四国にある「国立宅間電波高等学校」をイメージするようになっていた。入学案内を取り寄せてみると、全寮制で、親元を離れることになるし、なによりも、国立とはいえ、授業料や寮費やら生活費やら、なにかと物入りの用だということが分かり、我が家の経済情勢には向かないと分かって、諦めることにした。さらにまた、卒業後は「船舶通信士(トン・ツー屋)」として近海や捕鯨の漁船はもとより外国航路の貨物船や客船にも乗ることが主要な仕事、ということで、「カナズチ」の私にとっては、致命的な不適合職業であることが分かって、泣く泣く諦めたのであった。※ ※ ※ ※ ※小学生のころには、小学館の「小学○年生」シリーズを学年を追って購読してもらっていた。中学生になっても引き続いて「中学○年生」を購読していた。旺文社の「中学時代」や「蛍雪時代」には目を向けることは無かった。その、宅間電波高等学校を諦めて、工業高等学校の電気科を受験しょうと、決めたのであった。全県校区の県立H工業高校電気科であった。この高校は、県内全域から優秀な受験生が受験する、というので、中学の教師も、私に対しては、合格出来る、とは言い難いぞ、という御託宣であった。そこで、私は、自分の実力をリサーチすることに決めたのであった。その方法は、1.先ず、かの、「中学3年生」の毎月号の模擬試験を受けることにした。2.雑誌には、成績順に氏名が掲載されているので、人数を数えてみると、500名ほどであった。3.都道府県の数、ざっと50で割ると、一県あたりでは上位10名が掲載されていることになる。 しかし、「中学時代」や「蛍雪時代」の購読者もいることや、模擬試験に応募しない受験生もあることなどを踏まえると、、「中学3年生」の毎月号の模擬試験の成績順で雑誌に名前が掲載される上位500名に入るということは、都道府県の格差をも考慮しても、悪く見積もっても、県内の上位40~50位には入ることになるので、希望の工業高校には合格できるであろう・・・と、踏んで、この雑誌の模擬試験に応募して、自分の名前がこの500名の中に入って掲載されることを目標に、受験勉強をしたのであった。そして、その結果、小さい文字ではあったが、名前が掲載されるようになって、ようやく、自分の受験勉強に自信をもてたのであった。そのころ、中学の模擬試験では、校内順位や市内の中学順位などが廊下の壁に張り出される日々であったが、それらの順位がいつもトップやら悪くても5位以内であっても、私には全く関心がなかったのであった。そんな折に、私の受験勉強に強力に力を貸して下さったのが、数学教師の松岡三郎先生であった。松岡先生は、「私の授業時間には、私の授業には目もくれえずに、この参考書で数学の勉強をしなさい・・・」といって、一冊の参考書を頂いたので、それに基づいて数学の受験勉強をしたのであった。かの、雑誌の模試の結果、雑誌に私の名前が掲載されるようになったのは、「数学で点数を稼ぐ」という戦略(?)が功を奏したことも、否めなかったのである。※ ※ ※ ※ ※ひょっとしたら、私が採用した手法は、現在の、平均、分散、確率、統計といった、数学的というか科学的というか、標準偏差・偏差値を利用した手法のはしりの一端ではなかったのだろうか?それにしても、大雑把であっても、正しい戦略を立てることの重要さと、その戦略を決行する実力を備えることの重要さを学んだようであった、と、この経験を振り返って思い出す折につけ、思うのである。【高校受験のしあわせのハンカチ《大阪日日新聞(昭和34年5月31日発行)》】お陰さまで、初任給一万円の身で、この新聞への投稿・掲載のお陰で、薄謝(大枚500円の原稿料)という不労所得(?)が手に入れることができて、当時、11毎綴りの回数券を10枚130円という値段で買って13円で一枚ずつにばらして11枚売ってやっと1枚分13円のさや(儲け)・・・という生活をしている人々が、雨の日も風の日も市内のあちらこちらの路面電車の乗り場で見受けられていた時代に、ささやかではあるが、高校受験料や受験勉強費用の一部を回収(?)出来たことは、努力の成果である、とはいえ、嬉しいことであった・・・ぅワッ ハッ ハ・・・桐灰 足の冷えない不思議な靴下 レギュラーソックス厚手ブラック フリーサイズ 4901548600621★ゆうメール送料無料★足の冷えない靴下 不思議なくつした【ふるさと納税】北海道海鮮紀行いくら(醤油味)【1kg】価格:20000円(税込、送料無料) (2018/3/9時点)うれしいおまけ付♪鹿児島県産 焼きめざし お試し 25g 無添加[送料無料][干物][焼めざし]【送料無料】