私はほぼ一年中お店に缶詰常態でいます。特に夏場はかきいれどきなので、今月の休日は1日のみです。ストレス発散には何をするかというと、休憩時間に30分ほど泳いだり、自己流ヨガをやったり、武術の基本稽古をやったりします。仕事が終わったらビールを飲みながら(あ~ビール飲みたくなってきた)バラエティー番組を見るか、読書か、あと映画を、見たりします。昨晩は、マイレフトフットという映画をみました。脳性小児麻痺に冒された主人公クリスティーが五体不満足ながらも左足で字を書いたり絵を書いたり、失恋してけんかしたり(ナイス左内廻し蹴り!)、自殺を図ったりの紆余曲折の人生を歩んだ原作者C ブラウンの実話です。
私はこの映画はとても人事だという言葉でかたずけられない思いでいました。思い起こせばちょうど2年前の夏。午後4時ごろ、お店に一本の電話が鳴りました。電話からは声にならないような嗚咽とけたたましくなるサイレンの音、電話の相手は姉でした。「けんじが車にはねられたが・・・」けんじ(10歳)とは姉の息子、私の甥っ子です。けんじは2年前、大好きな阪神タイガースの試合を見に行った次の日、交通事故に遭いました。奇跡的に命を取り留めたものの半年間意識不明、現在でも車椅子生活を余儀なくされています。しかし少しずつではありますが回復のきざしを見せつづけてくれているようでもあります。植物状態からは我々があたりまえのように行っているすべての動作が超難関です。まず目を開けることすら出来ないため、目を動かしていました。鼻をひくひくさせたり、耳を動かしたり、そして呼吸ができるようになりました。次に水を飲んで、声を出せるようになり、腕を動かして、という具合に徐々に徐々にゆっくりと一つ一つの難関をクリアしていきました。
昔ある先生がいつも言っていたことを最近になって思い出します。一生懸命ということ。あれは一所懸命とも言うそうですね、「一所」「一箇所」「今現在いる所」つまり「今いる場所で一箇所で懸命に・・・」ということです。0の状態で何かを得るということはまずは今いる場所で一つを物にしないと1には成らないわけです。
最近のけんじはいつもごきげんです。へんないいかたですが見る側にとってはかわいそうという風になるのかもしれませんがやる側と一体になって考えてみると100%悲観的にはなれないのです。文字通り一箇所懸命一つ一つ東大受験よりも難しいであろう超難関を突破していく達成感が五体満足のわれわれよりも数百倍あるという意味で。
映画の主人公クリスティーも「to be or not to be that is the question」生きるべきか死ぬべきかのハムレットの一説を口づさみながら左足で絵を描いていたシーン。ある意味一箇所懸命を楽しんでいるかのようにも見えました。
私はまだまだ理屈ではわかっていても実感としてまったく理解していないっていうことがよくあります。それらの一つ一つを掘り下げて缶詰状態からの1に持っていく作業、一生懸命ということをもっとよく考えるべきだなと思いました。