今週のHAWAII情報(No.100)
今週のHAWAII情報もいつの間にか100回を迎える事となりました。その記念すべき今回は「ハワイの歴史」についてハワイ諸島の誕生ハワイ諸島の誕生は、数百万年前に海底火山の爆発によって誕生しました。しかし、火山の調査から、すべての島が一度に誕生したのではなく、西から東へと順に誕生したことがわかってきました。カウアイ島で約500万年前、オアフ島で500万~300万年前、マウイ島が200万年から100万年、一番新しいハワイ島が100万年前といわれています。ポリネシア人の渡来ハワイに最初に定住した人々は、8世紀頃に渡来したポリネシア人だといわれています。その後、タヒチなどからの移住の時代が続き、先住者たちと融合しながら、1778年に太平洋を探検中にキャプテン・クックが来航するまで、独自の文化を形成してきたといわれています。キャプテン・クックの来航1778年に来航したキャプテン・クックは、オアフ島を皮切りにハワイ諸島を発見。当時、島の人々はクックを「豊作の神ロノ」と信じ大歓迎したといわれています。しかし、一旦出航したにもかかわらず、嵐で船が破損し戻ってきたことで、ロノ神でないことがわかり、クックは命を落とします。ハワイ王朝の成立1795年になると、対抗するオアフ、カウアイを制圧し、カメハメハ大王の統治によるハワイ王国が成立します。大王は古代の神を崇拝し、独自の複雑な階級社会を維持しながら、国を統治しました。キリスト協宣教師たちによる西欧化1819年のカメハメハ大王の没後、カメハメハ2世は、西洋文化を熱心に広めていきます。折しも宣教師たちが次々に来航するにつれて、ハワイ独自の文化は次第に衰退していきました。ハワイ王朝充実とサトウキビ産業の発展1850年にはカメハメハ3世のもとで、王国の首都はホノルルに移り、ハワイ王国は充実期を迎えます。1835年にはカウアイ島にサトウキビ・プランテーションができ、アメリカの重要な砂糖供給地として、経済的発展をとげていきます。王朝の終焉と共和国の誕生1854年のカメハメハ3世の死後、続く3代の統治者が短命でこの世を去ります。次のカラカウア王の時代になると、砂糖に関税がかけられ、またプランテーションを経営する白人勢力の対立も激化の一途をたどります。1891年にはリリウオカラニ女王が即位しますが、1893年にクーデターでハワイ王朝は崩壊し、ハワイ共和国が誕生します。日本人のハワイ移民日本人の最初のハワイへの移民が行われたのは、1865年の明治維新の年です。日本の国策として移民がはじまったのは、1868年のカラカウア王の時代のこと。当時ハワイで急激に発展していたサトウキビ産業での労働力を確保するためでした。カラカウア王は親日家で、1881年には日本を訪問しています。アメリカ合衆国に1898年、アメリカ議会でハワイの併合が決まり、1959年にはアメリカ50番目の州となりました。正 式 州 名 ハワイ州 State of Hawai'i面 積 16,634.5平方km人 口 約120万人州 都 ホノルルハワイの 位置 州都ホノルルの州政府庁の位置は、北緯21度18分25秒、西経 157度51分30秒にあります。 これはカリフォルニアから約3,990km、日本から約6,190km、 フィリピンから8,820kmの位置にあたります。言 語 英語とハワイ語のふたつが公用語です。 ハワイ語は5つの母音と7つの子音からなっています。 ハワイ語はローマ字表記とほとんど同じ読み方になってますので、 日本人にはとても親しみやすいといえるでしょう。州 歌 ハワイ・ポノイ Hawai'i Ponoi カラカウア王作詞(かつてはハワイ 王国国歌)州 旗 左上にユニオンジャックと、赤、青、白の8本の横縞州 の 紋 章 中央のクレストをはさんで、右側にカメハメハ1世、左側に自由の女神 クレストの下にはシダとバナナ、タロイモの葉に囲まれたフェニックスが デザインされています。ハワイの名の由来 HAWAI'Iはハワイ語では「ハワイイ」と発音します。 このハワイイは、ポリネシア語で「神のいる場所」を意味しています。州 の 花 黄色のハイビスカス州 の 木 ククイ(別名「ろうそくの木」といわれ、ハワイアンはオイルをとって 灯りや薬として使っていました)州 の 鳥 ネネ(ガチョウの仲間で、羽が短く短距離しか飛べません)州の海洋動物 ザトウクジラ(毎年ハワイ近海に現れることから指定されました) 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii オアフ観光局 visit-oafu welcome to hawaii