五十鈴川の川辺で祓い清める―――大祓(おおはらい)
内宮には、御手洗場という五十鈴川の岸辺があります。敷き詰められた石畳は徳川第五代将軍綱吉の生母、桂昌院が寄進したといわれ、古くから参宮者に親しまれてきた川辺です。 夏、水辺はひと際うれしいもの。錦鯉が泳ぐ御手洗場のほとりに佇むと、すがすがしい川風に包まれて、ほてった身体がすつと涼やかになります。川面を覆うみずみずしい緑がその影を落とし、瀬音が絶えることはありません。朝夕にカジカガエルの美しい鳴き声が響きわたると、まるで別天地のようになります。 日本には古くから、禊という習慣がありました。身の穢れを川や海に入って洗い清めることです。水には目に見える汚れだけでなく、目で見ることのできない身の穢れをも取り除く浄化作用があると信じられていたからでした。 私たちも神社にお参りする際、手水舎で手を洗い、口をすすぎますが、この手水を取ることは、実は禊を簡略化しているのでした。 御手洗場で、神宮の山々からの流れに指先を浸けると、そこから清涼感が身体の中を走り抜けます。身体全体を水に浸けているわけではありませんが、まさに心身を「濯いだ」ような感覚。この御手洗場のほとりに立つと、暑い夏も乗り切れそうな気がしてきます。 土用の丑の日と八朔(八月一日)には、この御手洗場の水を汲み神棚に供えると、一年を無病息災に過ごせるという、お水汲みの習慣が地元に伝わります。この日は朝から容器をもった人々が訪れ、水を汲んでは五十鈴川の水の神さまをまつる滝(たき)祭神(まつりのかみ)にお供えした後、持ち帰ります。地元と五十鈴川の関わりを物語る小さな民間信仰です。 神宮でも大祭のある前月の末には奉仕する神職らの穢れを祓う大祓という儀式が、やはり五十鈴川の川辺の祓所(はらえど)で行われます。神職も参宮者も五十鈴川の清流によつて穢れを祓うことによつて、すがすがしく神前に出ることができるのです。