第100回 ハワイのいろいろ「HAWAII 観光の歴史」
ALOHA!! 皆様お元気ですか・・・? 何時ものフレーズで始まるコラム、ついにこのテーマも100回を迎えました。 何を書いてきたのか取りとめのない記述が多かったと思います。でも、いつの間にか100回です、信じられない!!! よくお付き合いいただけました、いろいろと日常的なハワイの出来事をお伝えしてきました。 Repeaterにとっては他愛のない記事や出来事かもしれませんが、初心者にはいささかでもお役に立てたのでは・・・、と思っています。 ただただ感謝申し上げます。 どうしてこの島々は、世界の楽園と呼ばれるのでしょうか。 それは、やさしい自然と、あたたかい人々と、育まれた文化が、 旅する人を、深く、こころから楽しませてくれるから。 そして、この島々の大地に息づくすべてのものとよろこびを分かちあう、 「アロハ・スピリット」があるから。 だから、見ているだけでは、もったいない。もっと、体験してください。 もっと感じてみてください。 きっと、想像もしなかった驚きや感動に出会えるはず。 今年は、あなたの知らなかったハワイに出かけてみませんか。 そこで、今日お話ししたいとおもっているのは、初心に戻りハワイ観光の歴史を紐解いてみたいと思います。「ハワイ観光の歴史」についてです。 ハワイブームの火つけ役は誰? ハワイ観光の歴史 1866年に新聞記者として来島したマーク・トウェインが、ハワイの魅力をカリフォルニアの新聞「ユニオン」に発表しました。すると、カリフォルニア州の住民のあいだにハワイブームが巻き起こった。 ハワイが世界の人々が愛する観光地としての歴史を歩みはじめたのは、1900年代に入ってからです。ハワイ最初のホテルは、1872年に開業したハワイアンホテルで、1901年にはモアナ・ホテル(現モアナ・サーフライター・ウェスティン・リゾート)が誕生しました。1903年には観光局の前身となるハワイ宣伝委員会も発足しました。 1912年、ストックホルム・オリンピックで、水泳100メートル自由形のアメリカ代表に小麦色の肌を持つ青年が彗星のように現われ、金メダルを獲得した.この青年こそはワイキキ生まれのデューク・カハナモクで、またたく間にスターになった彼は各地でサーフィンを披露し、全米に「ハワイ」と「サーフィン」の存在を知らしめた。 ホノルル港は自然の造形に恵まれており、本格的な船舶時代に備えて港湾整備が行なわれた。ハワイ州の海運産業で重要な位置を占めるマトソン海運では、1925年にカリフォルニアとホノルルを結ぶ大型客船マロロ号の定期就航を開始、さらに乗客宿泊用ホテルとして、1927年、ワイキキにロイヤル・ハワイアン・ホテルをオープンした。モアナ・ホテルやロイヤル・ハワイアン・ホテルの創業時には、家具―式、車、使用人まで、すべてを豪華客船に乗せた富豪たちが、何ケ月もの長期滞在でエキゾチックな日々を楽しんだと言われています。 順調に上向きになりつつあった旅行者数は、1929年のアメリカ大恐1荒の影響で減少したこともあったが、1930年代に入ると軍需景気に煽られ、ますます注目を集めるようになっていった。アメリカ本土に向けての積極的な宣伝活動も始まり、ハワイから全米向けに放送されるラジオ番組「ハワイ・コールズ」もこの頃にスタートした。番組は1935年から40年間続く記録的長寿番組に成長、ハワイのPRに一役買っただけでなく、スティール・ギターのメロディに英語歌詞をのせて歌うハワイアンミュージック「ハバ・ハオレ」を誕生させ、全米の人気をさらった。 同じく1935年には、バン・アメリカン航空が初の大平洋横断定期便としてサンフランシスコとホノルル間に飛行艇チャイナクリッパーを就航させ、それまで船で4日かかったハワイヘの旅を21時間半に短縮した、アメリカ本土とハワイを結ぶ空路は、1947年、バン・アメリカン航空に次いでユナイテッド航空も乗り入れを開始し、その後の飛行機時代をつくり上げて行きました。 戦争の暗い影が忍び寄ると、ハワイは大平洋の基幹基地としての重要な役割を担い、軍需景気が高まっていった。1941年12月、旧日本軍の真珠湾攻撃により大平洋戦争が勃発.ハワイヘの観光旅行は禁止されるが、基地の島としてのハワイには多くの軍人が駐留し、その数は一時、総人口を上回るほどとなって、経済的には大いに潤った。 1945年、大平洋戦争が終結。日本の降伏文書の署名が行なわれた戦艦ミズーリ号は現在、歴史博物館となってオアフ島真珠湾に永久停泊しており、USSアリツナ記念館とともに多くの観光客を集めている。 その後、ハワイは観光産業の強化を図っていった、また、戦争中の駐留でハワイを知った退役軍人たちの口コミで、ハワイの人気は高まった。 1959年、ハワイがアメリカ合衆国の50番目の州となったのをきっかけに、ハワイフームに拍車がかかる。この年にはジェット機が就航、巨大なモール(商店街)であるアラモアナ・ションピングセンターも完成しました。また、ハワイを舞台にしたABCのテレビドラマシリーズ「ハワィアン・アイ」の全国放送がスタートし、エキゾチックな島の情景はアメリカ本上の人々を魅了した。 1922年にハワイを訪れた観光客数は9672人だが、その37年後には20万人に達した。1960年代に入ると、オアフ島に続いてマウイ島など、ネイバーアイランドでのリゾート化が始まる。1961年にはエルウィス・プレスリーの主演映画「ブルー・ハワイ」が爆発的な人気を呼んだ。 2010年代の現在、ハワイ州を訪れる観光客は1,000万人に迫り、オアフ、マウイ、ハワイ(ビッグアイランド)、カウアイ、モロカイ、ラナイの6島でそれぞれの土地の特徴を活かしたリゾート地が世界中の旅人を受け入れている。 その後のハワイについては、もう皆さんもよくご存じのように、世界のリゾート地として驚異的な人気スポットとなっています。 今日のお話は如何でしたか、参考になりましたでしょうか!!! これからもコンパクトに「ハワイのいろいろ」を綴って参りたいと思っています。参考となるお話やご教示ございましたら、どうぞご一報ください。いろいろと参考にして勉強して行きたいと思います。 A Hui Hou!(じゃまたね!) https://www.allhawaii.jp/ 参考文献 ハワイ州観光協会 go-hawaii ハワイ州観光局 allhawaii (オールハワイ)