「父の十三回忌法要」
今日は私事を記させていただきます。 2014.06.23 昨日(22日)私は父の七回忌を執り行わせていただきました。 と記述致しました。早いものであれから6年の歳月が過ぎ去りました。 2008年の7月4日、このブログで父の死をお知らせ致しました。 光陰矢のごとしと言います、早いもので12年の月日が巡ってまいりました。 「孝行したい時には親はなし」世間でよく言われます、まさしくそうです。私も本当に孝行らしい孝行も出来ずじまいで、それだけならまだしも大変な苦労をさせた事もございます。今更悔いてもどうにもなりません、でも悔いが残ります。少なくとも供養に努めたいものと思っています。 これから迎える月日は長く感じても、実際過ぎた日を省みればあっという間の6年でした。葬儀にあたり三回忌まではあっという間ですよ・・・、と言い聞かされました。本当に一周忌迄の1年は早かったです、三回忌もあっという間に過ぎ去りました。 七回忌もあっという間にやってまいりましたし過ぎ去りました。 そして、この度十三回忌を迎えることになりました。 その都度私は弔辞の言葉を思いだします。 「私から父に感謝の意を申し沿えさせていただきます。 おやじ、私をこの世に送り出してくれて有難う。なぜなら親父がいなかったら、今ここに私はおろか息子達・孫・ひ孫に至るまでこの世に存在しなかったのだから・・・。有難う、この世で最大の贈り物をいただいたのです、本当に有難う。」 と絶句したものです、平成20年6月25日午前7時52分永眠。 幸いなことに父の死に立ち会えたことを感謝したものです。すぐに十七回忌を迎えることでしょう。 生あるものの終焉、その日を迎える約束事の内に 人は今日を懸命に生きています。 どの生も尊く豊かで、充実に満ちたものであるでしょう。 幾千億の生き方の底辺には、平穏で倖せな生涯を 望む万人共通の願いが流れているのです。 だから当然死もまた、その願いの延長にあって然るべき ではないでしょうか。 穏やかで至福をもって敬われる死--------。 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 本日はこの face-book 及びブログをお読みいただきありがとうございました。 合 掌 昨日6月21日 私は父の十三回忌法要を執り行わせていただきました。 ・「仏教の根本は、一言で解りやすく云えば、共生の精神だ、 自分のためだけの生き方ではなく、自分の生き方が人に感銘を与え、 人に倖をもたらす自他共に生きる共生(ともいき)の心が存在しなければならない、 自分の執着、執念だけで動けば、自分を縛すると同時に、相手をも縛することになり、 修羅の世界に没してしまうことになる」 (山崎豊子著・「不毛地帯」より) 親の恩 昔から『親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない』と言われています。 父母の教えは天の声です。 『親思う心に勝る親心』、私達が親を思う心より 遥かに親は私達を思っていて下さるのです。 骨身惜しまず日夜育てて頂いた親に、いくら感謝をしても充分とは言えません。 『親孝行したい頃には親は亡し』『あとの後悔先に立たず』、どうぞ勇気を持って、 躊躇することなく優しくお礼の言葉をかけ、いたわりの手を差し延べて下さい。 親はそれだけで、今迄長年の苦労が飛び散ってゆく程嬉しいのです。 貴方の子供も、貴方の行為をそれとなく見ています。