ALOHA!!
皆様お元気ですか・・・?
今日お話ししたいとおもっているのは、
ハワイ観光では定番の「ヌウアヌパリ」をご紹介したいと思います。
ここはカネオヘ湾などが見下ろせる見晴らしの良い素晴らしい場所です。
「ヌウアヌパリ」ってどういう意味でしょう。
ヌウアヌパリはハワイ語で「冷たい風の崖」(ヌウ=冷たい、アヌ=風、パリ=崖)という意味です。
ここは本当にすごい風が吹く場所で、風が強い時には人間がまっすぐ立っていることが出来ないくらいです。
オアフ島の東側からの風が山にぶつかって、一カ所に風が集中し、その力がギュッと絞られるので、強い台風と同じぐらいの風の強さになります。
そんな風が常時吹いているのが、ヌウアヌパリなのです。
私など分かってはいるのにこの場所で2・3回帽子を飛ばしてしまいました。あご紐のある帽子以外は帽子はかぶらないで見学する事をお薦めいたします。
ある時など250キロ(風速70m)の風が、一週間続けて吹いたことがあります。
その時は周りの木が倒れる程の風だったそうですが、そんな時、"いろんなもの"が風を受けて、飛ぶんです!空は飛びませんが体が浮き上がったりしますから飛ばされないように十分ご注意下さい。まぁ、そのような時は見学も中止になると思いますがね・・・。
ヌウアヌパリはどこでも風が強いというわけではありません。
たぶん崖の形状が影響していると思われますが、風で遊べるポイントと言いますか強風のある場所はほぼ一箇所です。
風に吹かれていると地球の重力が少しずつ無くなっていく感じがします。で、気付いたら体が浮き上がるような瞬間! ここの風はかなり素晴らしいですが、かなり強い!ので、気をつけながらここでは見学して下さい。先ほどお伝えしたように私も何度かここで帽子を飛ばされました。
ヌウアヌパリの歴史
ヌウアヌパリの一番高い場所は、海面から1000メートル程あります。
過去ににそこの崖に、小型飛行機がぶつかった事件が有りました。飛行機は見つかりましたが、操縦士の遺体がいまだに見つかっていません。
その捜索時、操縦士とは違う人の骨が見つけられ、調査の結果、カメハメハ大王が戦争した時の戦士の遺骨だと分かりました。
その出来事が示すように、ここヌウアヌパリには大きな歴史の足跡があります。
カメハメハ大王がハワイ島、マウイ島、モロカイ島で戦争をして勝った後、一万人の戦士をカヌー船で運んで1795年にオアフ島に着きました。オアフ島との戦争のためです。
その時、最初にプッオワイナと呼ばれていた山(今はパンチボールと呼ばれています)で戦争が始まり、オアフの戦士が負けそうになったので、山の上に逃げてヌウアヌパリに隠れていました。
その頃、カメハメハ大王の軍勢は、キャノンや鉄砲を持っていて、かなり強かったのです。
カメハメハ大王の軍勢は、敵方であるオアフ島の王、カラニクプレの戦士を山の奥に押しやっていきました。
その山の奥には、そう、このヌウアヌパリの崖がありました。そんな場所での戦いだからずいぶん凄惨なものだったでしょう。
オアフ島最後の戦場と言われ、ここでの戦争を勝利したカメハメハ大王はハワイ全島を支配しハワイ王朝をキヅイタ築いたのです。
現在、ヌウアヌパリには4車線の道があります。この道は700年前からあった道です(勿論4車線じゃありません)。昔は細くて歩いてしか通れない道でした。
オアフの南(ワイキキ湾)から北に向かい、東側のカネオヘ湾ヘと続く道でした。
この道を使えば、歩いて島の反対側へ、一日で行けたと言われます。
この道を使わずに、島をぐるりと回って行ったら三日ぐらいかかったそうです。
そのため、昔のオアフにとって、ここはかなり大事な通り道でした。
1898年に、一車線のがたがた道が完成しました。作っている間に、800人分のオアフ戦士の骨が見つかりました。だからここは、景色がキレイなだけでなく、風が強いだけでなく、ハワイの人々にとって大事なスピリチュアルな場所でもあるし、そういう話の多い場所でもあるのです。
風とお友達になったら、少し昔の道を歩くのも楽しく想いで多いものになると思いますよ。
それはパノラマのような景色が見えるからです。
さらにジンジャーの花が咲いていて、その美しさに驚かされます。パリハイウェイを見下ろす高さにビックリしたり。今日はだいぶ心躍る経験をしたようです。
それでは、また。Maharo!
写真1は1986年初めての家族旅行時のヌウアヌパリでの写真です
写真2は2015年のヌウアヌパリでの写真です
参考文献
ハワイ州観光協会
go-hawaii
allhawaii (オールハワイ)