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カテゴリ:趣味・趣向 関係
10月の秋風が気持ちいい毎日、いかがお過ごしですか。さて、日本の秋といえば
古来より「菊」。祇園の舞妓さんの花簪(ハナカンザシ)も10月は「菊」ですし、 京都の菊として知られる嵯峨菊、貴船菊(秋明菊)も、大覚寺や貴船神社などで訪 れる秋の旅人の心を和ませてくれます。今日は菊のお話をしましょう。 野生種は存在せず、中国で1500年ほど前にチョウセンノギク(C. zawadskii var. latilobum)とハイシマカンギク(C. indicum var. procumbens)を親に交配によって生まれたとされている。 日本人と菊との関係は古く奈良時代から始まり、重陽の節会に菊酒を飲み長寿を願うという風習が長く伝わることになりました。 花言葉は「清浄と高潔」。香りは外からの邪気や毒気を防ぎ、仏様を守る「涼血 解毒」という作用があるそうです。菊は当時、薬用植物として重宝されていて、 ビタミンA・B、カリウム、鉄、リンなどを含んでいます。 日本にも350種ほど野菊が自生しているが、ヨモギのように食用とされ、観賞の習慣は平安時代頃、中国から秋の重陽の節句とともにもたらされた。万葉集には現われないが、古今集あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった。 「心あてに折らばやをらむ初霜のおき惑わせる白菊の花(凡河内躬恒 - 小倉百人一首 第29番)」 春のサクラに対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を天皇家の家紋とした頃からである。 平安時代には菊を観賞して親しむ文化が生まれ、菊の苗を原産地である中国から 輸入し、宮廷内で熱心に栽培していました。詩歌や絵画、装飾デザインにも採り 入れるなど、菊は京都の宮廷芸術にとって重要な存在になったのです。 江戸時代に入ると栽培熱が高まり庶民自ら"品種開発ブーム"を巻き起こし、育種が進んで多数の品種が生み出され創意工夫し、現在に見られる和菊のほとんどの品種を生み出しました。 菊細工や菊人形など「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評がしばしば行なわれた。これらは 江戸時代から明治、大正にかけて日本独自の発展をした古典園芸の1つとして、現在では「古典菊」と呼ばれている。全般に花型の変化が極めて顕著であるのが特徴で、「江戸菊」には咲き初めから咲き終りまでの間に、花弁が様々に動いて形を変化させるものすらある。このように発展した日本の菊は幕末には本家の中国に逆輸入され、中国の菊事情を一変させた。明治時代になると、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.10.04 08:18:37
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