今日は節分です、節分とは雑節のひとつで、立春の前日で、旧暦の年の暮れ、年頭にあたります。節分の風習は、新年のよい気を取り入れるための邪気払い。九星気学、中国占星術での年の変わり目は旧暦節分。この日をもって、新年とします。
豆まきは、中国から伝わった「追難」の儀式に由来。旧暦大晦日に宮中で行われる「鬼遣い」の儀式として始まりました。これが現代の豆まきの元になった行事です。
「まめ」は魔目。鬼の目をめがけて豆を打ちます。
「焼い嗅がし」は柊の小枝に焼いた鰯の頭を刺した魔除け。鰯の悪臭が鬼を寄せつけないと考えられていました。他には大蒜や葱、焼いた髪の毛を吊るす地方もあります。
節分は冬季か春季かの正解は冬季。しかし、翌日が立春だから、すでに春の匂いの濃い冬季といえる。
この辺の事情をみごとに語っているのが、芝居好きならお馴染みの河竹黙阿弥(文化13〜明治26〈1816〜92›)快心の歌舞伎狂言『三人吉三廓初買』序幕の「大川端庚申塚の場」のお嬢吉三の名科白だろう。
月も朧に白魚の篝も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに心持よくうかうかと、
浮かれ烏のたゞ一羽塒へ帰る川端で、棹の雫か濡手で泡、思いがけなく手に入る百両。
ほんに今夜は節分か、西の海より川のなか落ちた夜鷹は厄落とし、豆沢山に一文の銭と
違って金包み、こいつあ春から延喜がいヽわえ。
止めの「春から延喜(=縁起)がいゝ」の春は翌朝からとも夜のうちからとも受け取れる。
本来節分とは文字どおり季節の分かれ目の意味で、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日をさし、したがって一年に四回あった。平安後期、摂政藤原道長の栄華を中心に書かれた歴史物語『栄華物語』峰の月に「秋の節分にいと疾く入りぬべければとて、七月三日内に帰らせ給」とあります。
旧暦七月三日だから、「秋の節分」とは云うものの、正確には立秋前日すなわち夏の最後の日なのだ。
「三人吉三」のお嬢吉三は直後、登場したお坊吉三にゆすられて女から男に変身、ここには八百屋お七のパロディーということを含めて、冬が春に変身することと重ねた趣向もあるのかもしれません。
そして明日2月4日は「立春」です。
立春大吉(りっしゅんだいきち)
二十四節気の第一。節分の翌日です。暦の上ではこの日が寒さのピークで、立春以降の寒さを残寒、余寒と言います。
立春の日。禅寺では朝一番の若水で墨を招り、半紙に縦書きに「立春大吉」と書いて門に貼ります。 一年間の無病息災、そして開運のおまじないです。
春一番は、春先に初めて吹く南寄りの強風。気象庁の定義では「立春から春分までの間で、日本海で低気圧が発達し、初めて南寄りの強風(秒速8m以上)が吹き、気温が上昇する現象」。平均して2月下旬頃に吹く。
2025年から4年ごとに2月2日になり、2057年と2058年は2年連続で2月2日になるなど、今世紀の末にかけて2月2日になる頻度が高まる傾向にあるということです。
※1984年(昭和59年)に「立春」2月5日、「節分」2月4日と例年よりも1日遅くなっています。