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カテゴリ:散歩道
台風一過、日本晴れが過去の経験ですが。今年の場合は相当異なりますね。
今年に成って二回台風が日本に上陸したのですが、二回とも通過後の蒸し暑い事、この上なし。 誰かさんも参ってますよ。 IMGP8046 posted by (C)春子のお父さん 春子はポッターハウスにポテンキュー状態。下にはアルミの板が敷いてあります。 触るとヒンヤリするので、春子は此処が好きなんですね。次に好きなのが玄関のタイルの上です。やはり熱伝導率が良いのでヒンヤリとする場所です。良く知っていますよ。 散歩の途中。 CIMG0034line posted by (C)春子のお父さん 分りにくいので赤い線を引いて居ますが。此れも散歩道の途中に在る物なのです。 此れは石垣です。大きな石で築かれた石垣で赤い線で囲った様な形で在ります。 高さ3メートル奥行き10メートルの台が有り、右端に1メートルほど高くなった台が連続しています。 石も大きな石で、大阪城の石と比較すれば小さいですが、其の他の有名な城の石と比較しても見劣りはしません。部分的ですが、萩城、松江城、明石城、金沢城、と同じ位、高松城より立派です。姫路城でも余り差は無いですよ。 また、その前に在る槻木(ケヤキ・此の木が沢山在るので、此の辺りを高槻と呼びます)も直径が2メートル以上(私の両手では届かない)在り100年や200年では此処まで成長しないと思います。また、此の木は石垣に殆ど接して成長しているので、石垣が出来た後、面倒を見る者が不在に成ってから後に芽吹き成長したと思われます。 と言う事は此の石垣が出来たのは此のケヤキの大木が芽吹いたよりも以前であったと言う事。 此の大木が芽吹いたであろう、今から200年前と言う事は江戸時代で。その時代に個人のお百姓さんがこの様な普請は出来ないでしょうし、許しも出なかったと思いますよ。 と言う事は、先日よりお話させてもらっている、「芥川山城」の出城と言うのか、其処に通じる道の警護の為に建物があったのかも知れませんね。現在は此の石垣の右端の方に古い家が在ります。 何時も通る道は水路に沿って在るんですが、水路を挟んだ山に中に平行して道の様な開墾の形跡が見れます。離れて見ているので詳しく分りませんが。此れも山城への道であったのかも知れませんね。 此の山城の最後の城主はキリシタン大名で有名な高山右近だったらしいですよ。 その後現在の高槻の町中に城跡が在る「高槻城」に移り、現在に至っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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