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カテゴリ:季節の便
こんなことが在るのですね。
世界的な異常気象も此処まで来たのですね。 朝起きると周囲は銀世界。真っ白ですよ。 咲き始めの桜はどうなったでしょうね。この雪で縮んで仕舞ったでしょうか。 それにしても今頃に雪が積もるとは、今までに経験が在ったかな。 今日の天気は良いそうなので早く融けて桜が元気に成る事を祈ります。 先ずは朝一番に奇跡のご報告です。 雪景色080224026 続いてもう一つ奇跡のご報告。 春子のお父さんの住んで居る所は昔の城跡の近くです。 地名も其の城の埋蔵金が埋まっているとの伝説からの名前ですが。昨年は庭から1500年ほど昔の須恵器の破片が沢山出て来ました。此れは其の時にご報告させて頂きました。 所が今回は其れ位では無いのです。 昨日庭に大きな穴を掘っている時に大発見が在りました。 丁銀とか紐で繋づった穴開銭などが出て来ました。 17 此れは丁銀の写真です、38個が出て来ました。銀塊ですね。目方は夫々異なりますので重量を測って取引に使用されました。当時は毛利家が管理する石見銀山で採取した銀を使用して作られて居たようです。 明治初年まで日本では金銀の価値の比率が現在以上に銀の価値が高く、当時諸外国が海外から安価のメキシコ銀を日本に持ち込み、金と交換し海外へ流出した金は相当量に成ります。 また此の丁銀は使用に便利な様に、此れと小片とを紙で包み同じ目方に合わせて居たようです。 毛利家が徳川幕府の中で生き残る為に石見銀山を家康に献上した事は有名な話ですね。 小銭 穴開銭 日本では奈良時代に和同開珎が鋳造され流通していました。最近富本銭が発見され和同開珎よりも古い物と確認されましたね。しかし、此の富本銭は江戸時代から確認されており、色々な所で発見もされておりました。再発見されるまで、江戸時代の呪い用に用いられた物と思われて居たのです。でも飛鳥遺跡から発見され、和同開珎よりも古い事が確認されたのですね。和同開珎は当時唐で鋳造されていた、開元通宝を参考(模倣)に作られたそうです。奈良時代平安時代と皇朝十二銭が鋳造されましたが、以後は大陸からの輸入銭が日本国内で流通しました。其の代表が永楽通宝です。(当時の貨幣は鋳造されて居ました) その後江戸時代に入り寛永通宝、文久永宝などが鋳造されていました。 寛永通宝は皆さん良く御覧に成ったと思いますが、此のお金は終戦後昭和28年まで使用が可能だったことはご存じですか。但し10枚で1円程度の価値だったそうです。 今回は永楽通宝を中心にした繋銭が380本出て来ました。 以上「エイプリル・フール」の事件報告でした。但し説明文は本当の話です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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