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カテゴリ:日記
今日は春子の朝の散歩のご報告です。
春子の家の周辺には山も川も在るので散歩道には不自由しません。今日は山の方から川の方へ散歩道を決めて歩きました。 岡の上の道から東方向を見ます 080705 003 posted by (C)春子のお父さん 正面は枚方方面の淀川、右方向は生駒の山々、左方向は淀城の方向です。昔の戦国武将は此の様な場所に陣取り、旗指物の移動を見て、軍勢の配置を確認し法螺貝を「ブオーーー」と合図を送って居たのでしょうね。無線の無い時代、情報の伝達には苦労したでしょう。 幕末の新政府軍と幕府軍との戦いでの勝因も情報の確保・伝達力で左右されたらしいですよ。 戦いが始まった当初、新政府軍は懐中時計で時間管理をし幕府軍は従来の「子の刻、丑の刻」的な管理だったらしいです。此れでは同時行動が重要な作戦展開には大きな障害に成りますね。 そしてマルコニーが無線を発明。この無線が世界的な事件で使用されたのですね。 第一は日本帝国海軍「信濃丸」から「マルコニー式無線機」で「敵艦見ゆ」の電報が発せられたのが1905年。此れはマルコニーが無線通信を発明してから10年程しか経過していません。しかし、この時点で「信濃丸」からの無線が無ければ、「三笠」を中心とした連合艦隊は津軽海峡方面へ移動を開始していたかも知れません。その様に展開していたら、日本海海戦は日本の負けだった可能性も在ります。そして日本海の制海権をロシアに取られて居たならば、日露戦争は日本の負けで終戦でしょう。その様に展開したなら、現在、日本国は存在しないでしょうね。そしてロシアの一部としての「日本地方」として存在しているでしょう。我々日本人はスターリンにより中央アジアへ強制移動させられウクライナ周辺に「日本族」としてかろうじて少数が存在しているでしょう。当然朝鮮半島の国々は無いでしょうね。現在でもロシア沿海州に存在する朝鮮族の人口が多少増えて居るでしょうね。そう言う意味では「戦争は絶対に悪ですが」日本の行った戦争は白人が有色人種を搾取していた過去の常識を打ち破る為に大きな貢献が在ったと国際的には評価されて居ます(特にアジアでは二カ国を省き教科書でも其の内容で詳しく記載されているそうです)。マッカーサーでも彼の著書の中で「私が日本人なら、同じ事をしていた。」と記述していますよ。でも「戦争は絶対に悪です」。 正に「戦争は発明の母」を証明している感じですね。 第二は1912年のタイタニック号の遭難です。この時に初めて「SOS」が発信されました。「SOS」の意味は「save our ship」とも言われて居ますが、私は単にS=・・・、O=---「SOS=・・・---・・・」の単純なキー操作が理由と思いますよ。此れなら素人でも打電出来ますね。 グルット廻って川に出ました 080705 002 posted by (C)春子のお父さん 一時は桜満開だった端周辺も、現在では緑一色です。 今日、明日とバーベキュー客で満員に成りますよ。 そして城山に向って登って来ました。 080705 004 posted by (C)春子のお父さん 棚田のパノラマ・クリック 稲が生長していますね。此処も緑一色。 この写真の左方向が城跡ですね。 高槻の城主「高山右近」が入城した城らしいですよ。そしてやがて平地に新たな「高槻城」が普請され、其方に機能が移転。この山城「芥川山城」は廃城と成りました。其れが今を去る四百数十年目です。 当時からこれ等の段々畑(棚田)は城の食料確保の為に開墾されて居たでしょうね。その様に見ると当時の手作業での開墾の苦労が見えて来る様子ですね。 さて、家までは後10分程度。頑張って歩きましょう。 春子が可愛いとお思いの方は此方をクリック願います。 → 春子の庭に興味をお持ちの方は此方をクリック願います。→ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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