徒然草 5
「人は、おのれをつづなやかにし、おごりを退けて、財をもたず世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは、まれなり」 訳「人間は生活を簡素に整え、贅沢に走ろうとする気持ちを戒め、必要以上に財産など蓄えず、世間の名声や名誉を求めて奔走せず、あるいは他人に見せびらかすことを慎むことが、見上げた生き方である。昔から、賢い人と尊敬されるような人が、財産家であったためしはない」 むさぼらんぞとは、得られる限りの利益や快楽を掻き取ろうとする浅ましい行いはするな。とはいえ、この日本に暮らしている人々は、そんなことを言い聞かせたところで、聞く耳は持たないだろう。そうした行いがいかに醜く、やがて悪い結果に繋がるとしても、それは自業自得だから、放っておけば良い。贅沢や快楽が身体を損ねるよと言っても、人間はそうなってからでないと気がつかない。言っても理解できない人間には、いくら言っても無駄だ。 「富貴爵禄は、みな人事の無くんばあるべからざる所の者。只当に礼儀を弁ずべし。あに徒に以て外物と為して之を厭うべけんや」富や地位、名誉を欲しないのなら求めなければよろしい。それを罵るのは、世を拗ねた負け惜しみである。人の世には身分があり、(魂の人格もある)隔ても存在し、富貴があり、それによって社会は成立している。富貴爵禄を蔑んだり、罵ったりする人間は、所詮人間社会から遊離し、寂寞の拗ね者になるのが落ちだ。この説は、江戸時代の儒学者、伊藤仁齋の言葉である。