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極小未熟児936gで娘は生まれました。
2009年8歳、娘のことを考え写真ははずしましたが 小学2年生、身長116センチ体重18.5前から三番目 小柄だけど大きくなりました。 娘が小さく生まれなければこのブログはやってなかったでしょう。 カメラ自由に持ち込めないNICUだったので これいつ写したか正確にはわからないんですが 多分1000g近いと思います。 936gってどのくらい?というと フェイスタオルで十分布団になってました。 生まれた当時は娘しかみたことなく 小さい実感あんまりなかったけど この保育器も2000gのそれでも小さい赤ちゃんも入れば 結構ゆとりなく でも、それで大きくみえてた親ばか・・・ そして娘は次女にあたるはずでした http://plaza.rakuten.co.jp/takatchi/diary/200907250003/ 昔よりましになったとはいえ、産科医が縮小されて 子どもが空に帰った親の支援置き去りにならないことを願います。 日記のトラックバック、迷惑トラックバック防止に受付停止にしましたが 発達障碍、虐待関係のトラックバックリンク(もちろんその他でも)は歓迎です。 掲示板か私書箱にメールいただけたら期間限定受付します。 新しくブログはじめました今後は こっちにメインは移行かもです。 http://ameblo.jp/ayumi3san/ <
テーマ:癌
カテゴリ:カテゴリ未分類
アメブロがメインになって書かなくなってたんで報告ですが
主人は10月22日に永眠。 最初の癌から10年、再発からが4年だったかな 手術、入退院、頑張りました。 緩和ケア病棟に転院して10ヶ月昔で言うホスピスなので 平均でいけば10ヶ月はかなり長い。 その間4人部屋だったんで何人も入院してなくなってました。 うちの主人は痛みがひどくて自宅じゃ処方できません量の 鎮痛剤、モルヒネ系とかあったし、夏すぎたら起き上がるのも 痛くてベッド生活してたけど 車椅子で洗面、トイレ、自宅じゃ不可能だし、、で 考えなかったけど40過ぎだと、 介護保険で自宅介護もできるんです。 癌の進行は色んな臓器の問題に転移ということで 今の医学は専門分野がはっきりしてるんで 最初にかかった主治医、最初の病院で最期までっていうのは システム的にそうなってなくて転院、転科、入退院 どうしてもそうなるんですけど 移るタイミングや言い方、決して見捨てるとかそんなんじゃない より適切な治療を受けれるほうがいいなんですけど どうやっても直らないっていう先が含まれるんで 患者本人も家族にも出来るだけ捨てられた思い小さくなるような 通訳いると思います。 うちの主人なんて、緩和へ転院の話、回診のついでのように でてきてて、 多分ずっと話し合ったりがあって最善考えて今後はっていう 直らないからうちではもうみれないとかそんなじゃなかったと思うけど それはないかな~って思いました、 2年も入退院してたんだし、、、 緩和も空き待ちで連れ合いの場合は 私だけ病院に紹介もってて、1、2週間で空き次第っていってたのに 翌日朝、今日空いたから午前中にどうです?って 近いからあわてて子ども休みだったんで連れていって準備したんだけど 1月待ったとかタイミングによってはそんな感じ。 今緩和ケア病棟も増えてきてるんで できるなら複数見学いってもいいかもです。といっても 結局はいってみないとわかんないんですけどね、、、 日勤帯はそこまでではなかったけど 夜なんて、ナースコールで来るまでものすごい時間あって 基本的なところで大丈夫か?とか思うこと結構あったんで。。。 http://ameblo.jp/ayumi3san/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年12月14日 08時54分22秒
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