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テーマ:虐待の向こうとこっち(24)
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最近、8年前
私も寄せた「虐待と尊厳」が出版になって 以来、 初めて読んだって言う感想をいただきました。 8年もたって感無量。 3年くらい前だったと思うけど自分の書いたのを読み返し それで全部で、書換えないかも。 堂々巡りで8年、 さすがにネットでも本の中にも赤裸裸いえない 被虐待児にありがち強烈な依存症、 ここ以上やったら人でなしだなと自分で思う境界うろうろ。 8年たって思うのは、 親の仕打ちに名前が欲しいなです。 ○○だからしょうがなかった、仕方ないか まあいいか。。。 諦めのつく名前、概念があったらいいのにと。 「虐待」ではだめなんですよ。 単なる分析であって、なんでこんなことに、 なんでなの?って堂々巡りからはなれられない。 そんなんじゃ井戸の中の貞子いつまでもでてくる 井戸に蓋にならないのです。 どうでもいいか仕方ないと思えて自分の今に集中するための キーワードには厳しい。 虐待は非言語能力をゆがめる。臨界時期まえに 歪んだものはそもそも正常を知らないので 正常、適正は後付でなれるしかどうにもできない。 それを仕方ないと諦めの付く納得できる一言括りがあったら 8年無駄にしないでもうちょいどうにかなったのにな・・と思う。 昔性犯罪被害者を「サイバー」生き残った勇気ある人と定義した 拡大で被虐待児もサイバーなんだと思うんだけど 残念ながら「サイバー」の生き残ったがはずれて 回復者と定義になってなんていうか本来なら 遭難者のその後、みんなが元のままに戻らない。 半身不随など重大な後遺症、精神的なフラッシュバックが惨くて なかなか過去に出来ないから・・ 人の性での負の部分を包括しないかたちで広まってしまって。 そうじゃなかったらよかったのにと思う。 最近ちょっとづつ、いいだけ言語でやりつくしたその後を 淡々と 非言語セラピーや アロマだ、ヒプノだそれから、、の効能で 日々淡々と暮らしていこうみたいなこともでてきてる。 被虐待のその後の痛みって麻痺して鈍った非言語能力をだましだまし リハビリ的にどこまでいけるかわからない機能回復を目指す 戻らない部分はいまより麻痺させない。痛くてもリハビリしないと もっと麻痺が進行するみたいな。。。 このしんどさ、自分に向けて仕方ないなんだけど 人に言われたら絶望的に思う。 「虐待」これ そもそも、主語が加害者です。 「虐待された私」っていうのが なんでされたの?のループを呼ぶ。 私の親なんか悪意がはっきりあったわけでもないし。 いまだに、 おまえたちを邪魔に思ったことないと言い張る。 そこは多分嘘じゃないんでしょう。 悪意があるないと虐待するしないは関係ない。 善悪なんて正直、 ほんと、「虐待と尊厳」につながる穂積純さんの「甦る魂」がなかったら 嘘も本当も処世術、誰もどうせ私なんて肯定しない やられてることのやり返し処世術に感じてた。 そうか本当の意味で人と繋がりたかったら正直率直からスタートなんだなってはじめて思ったのが「甦る魂」 あの良い悪いなしの怒りでああ、自分もこれでもいいのかと 思えました。 そこがなかったら、多分精神科入退院でもしてもっと 人に迷惑かけるだけだったかもと思う。 私の母親も父親も祖父母も、全部良い人じゃないでも 精一杯真面目に生きた良い人善良な人で、 何で私がこうなるの。。。 「虐待」って名まえの中では答えがないのです。 私だけに問題あるなんてのは 殺意で暴れたいかもくらい絶望感じます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年07月13日 09時05分20秒
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