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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:名所江戸百景
南千住の小塚原刑場跡にも回向院ありますが、南千住は別院で両国が本院になります。
両国回向院の境内にも、南千住と同じく著名人の墓所が並んでいました。 竹本義太夫の墓所 人形浄瑠璃「竹本座」の創始者で、近松門左衛門の名文「曽根崎心中」を人形浄瑠璃で世に送り出しました。 (「お初天神」の記事→こちら) 鼠小僧次郎吉の墓所 そう言えば南千住の回向院や浜松の犀ヶ窪にも鼠小僧次郎吉の墓所がありました。 墓石を削って持ち帰るとギャンブルのご利益があるそうですが、あまりに削る人が多いので、現在は墓石の前にある石を削るようになっています。 (それでも削れすぎですが…) その鼠小僧の墓所の横には、「猫塚」がありました。 落語の「猫の恩返し」に回向院が出てくるそうですが、その猫塚だそうです。 さらには「南無阿弥陀仏」と書かれた碑がたくさんならんでいました。 海難供養の碑で、江戸時代に海難で亡くなった人の供養塔です。 「勢州(三重県)」や「紀州(和歌山)」の文字が多く見受けられます。 樽廻船や菱垣廻船の船乗りたちでしょうか。 両国の回向院は、1657年の明暦の大火の犠牲者を弔うために建てられました。 明暦の大火では10万人以上の死者を出す大火災で、江戸城の天守も焼け落ちたほどです。 その明暦の大火の無縁仏を葬るため、徳川家綱によって「万人塚」が建てられたのが回向院の始まりです。 以後は「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」を理念として、現在までも守られてきました。 歌川広重「名所江戸百景 神田明神曙之景」 関連の記事 回向院(南千住)→こちら 本妙寺→こちら(明暦の大火の火元とされていますが、江戸東京博物館で新たな説を聞きました) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018/09/07 07:21:48 PM
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