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テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(愛知編)
桶狭間の戦いにおいて、今川義元軍の中で孤軍奮闘したとも言えるのが鳴海城です。
織田信長軍の猛攻にも耐え抜き、最後まで鳴海城は落城することはありませんでした。 この時に鳴海城を守っていたのは猛将で名高い岡部元信で、鳴海城を守り抜いた上に、今川義元の首級をもらい受けるほどの奮闘ぶりでした。 その鳴海城は東海道の鳴海宿を見下ろす小高い丘陵にあり、鳴海城の鎮守であった天神社に鳴海城址の碑が建っています。 天神社 「尾張誌」によると、南北に75間(約140m)、東西に34間(約60m)あり、四方を堀で囲まれていたそうです。 また、本丸の他に二の丸・三の丸があり、それぞれの曲輪も堀で囲まれていたようです。 鳴海宿の東海道沿いには、鳴海城の廃材を利用して建てられた東福院の山門が残っていました。 鳴海城は別名根小屋城とも呼ばれ、応永年間(1394年~1427年)に足利義満配下の安原宗範によって築城されました。 戦国時代に入ると織田信秀の支配下となり、山口教継が城主となったのですが、織田信長の代になって山口教継が今川義元に寝返ったため、今川義元の支配下へと変わっていきました。 その後は今川義元方の岡部元信が鳴海城に入り、織田信長は鳴海城を包囲するために、丹下砦・善照寺砦・中島砦を築いています。 織田信長も落城させることができなかった鳴海城ですが、桶狭間の戦いにおいては、今川義元の首級を渡すことを条件に、岡部元信が鳴海城の開城に応じ、ついに織田信長の支配下となりました。 桶狭間の戦い後は佐久間信盛・正勝が城主となり、1590年に廃城となっています。 関連の記事 桶狭間の戦い(2009年8月)→こちら 東海道~鳴海宿→こちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/07/05 06:59:44 PM
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