|
テーマ:城跡めぐり(1254)
カテゴリ:城跡と史跡(東京編)
城跡が神社や寺院の境内に変わっているのはよくあることですが、こういうのは初めてかも知れません。
練馬城の跡は「としまえん」に変わっており、城郭の遺構は全く残っていませんでした。 それでも練馬区にありながら「としま」の名称が付いているのは、練馬城主であった豊嶋氏に由来しています。 また、としまえん付近のマンションには「キャッスル」の名前が付いていたりして、ここが城跡だったことは、一応認識されているようです。 練馬城は、1331年~1333年頃に造られ、豊嶋氏一族の拠点となっていました。 豊嶋氏の本拠地である石神井城の支城として位置付けでもあったようです。 1477年の長尾景春の乱の時に、豊嶋泰経は石神井城と練馬城の両方で呼応して兵を挙げ、太田道灌の拠点である江戸城と河越城のラインを分断する役目を果たしていました。 しかしながら江古田原・沼袋の戦いで豊嶋泰経が太田道灌に敗れると、石神井城と同じく練馬城落城したとされています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/02/02 06:45:51 AM
コメント(0) | コメントを書く
[城跡と史跡(東京編)] カテゴリの最新記事
|